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ヒトが生きるためのプログラム=物語

プログラムとは、物語です。
世界を認識し、どう生き抜くか、どう立ち回るか、その物語を、ヒトは3~9歳という時期に初期設定します。
生まれ落ちてから3歳までに様々な情報を収集し「世界はこういうものだ」と主観的に認識します。
それだけではなく、地球の歴史を内的に辿るという胎児の時に、一番初めの母から連綿と受け継いだ世界の情報や物語があります。
靈として生きた歴史の中で、“生まれ生まれ生まれて死に死に死にて”尚も受け継いできた物語もあります。
まっさらでクリアな状態で、今世生まれた世界を認識するわけではないし、
生まれた世界はまた何と不調和な世界なのだと体験して、
「愛し愛されたい」「あたたかな交流をしたい」という望みが叶わないことを知り、本当の望みを諦めざるを得なくなり、
諦めながらも、生を全うするべく、せめてこれだけは得られれば、何とか生きていける、
という物語を設定し、そのように人生をサバイバルします。
それはきっと人類が、Spiritの成長のために課したことなのだろうと思います。
負荷をかけ、鍛えていくのでしょう。
けれども、初期設定は3~9歳。成長した自分にはそぐわない古い物語になっているのです。
プログラムは強力です。
限定したプログラムは、グリッドの、ある交点(ある側面)に質量をより多く生みます。思いは重い。
すると、わたしという幾何学の回転がアンバランスになり、鈍くなっていくのだと思います。
つまりは、私という中心が描く螺旋も歪になり、
本当に行きたい地点へ到達するのに時間がかかる。
それもまた鍛錬のひとつとして、人類は望んだのだと思いますが、
「もう、いい!」と心から望んだ時、
その回転を鈍くしている大きな物語から見切って、書き換え、調和の物語を新たにインプットして歩むことは、
スタックする力を緩め、対極の物語に光を当て、
より「わたし」という中心に戻ることなのだと思います。
そうして、
幾何学は回転速度を驚くほどに上げて、
美しい、真正の神聖幾何学を、ボルテックスを描いていくのだと感じています。
つまりは、行きたいところへ最速で行けるということ。
本当は知っている、本当の望みを叶える一番の近道なのだと思います。
今の私はこう感じています。
20181102

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