保守派の私が中曽根元首相の合同葬への税金支出に反対する理由

中曽根元首相の合同葬に9000万円余の予備費(税金)が使用されることが話題になっています。

これについては多くの国民(特にリベラル系の方々)を中心に疑問や反対の声が上がっているのですが、保守派を自認する私も、実はこれには反対です。そこで、「コロナ禍で国民が苦しんでいるのに」といった観点とは別の角度から、なぜ私が合同葬への税金支出に反対しているのかを書かせていただきます。

そもそも問題となっている「合同葬」は、「内閣と自民党の合同で行う葬儀」という位置付けです。自民党との合同とはいえ、国の執政機関たる内閣が葬儀を行うというのは、一種の「国葬」に近い形になります。つまり、元首相の葬儀を「国葬」的に行うのが妥当かどうかというのが根本的な問題点なのです。

私は、この点について主に2つの理由で反対しています。

1つは、議院内閣制を採用する本邦において内閣総理大臣とは一定の政治的な立場に基づく地位であり、その個人的な葬儀に全国民の財産を使用する必然性はないということです。今回の中曽根元首相の合同葬に対して保守派の方々はあまり反対されていないようですが、それはおそらく中曽根氏が憲法改正を終身訴えられるなど保守派の政治家だったからではないでしょうか。仮に民主党の元鳩山首相が亡くなった際にその葬儀に9000万円の税金を投入するとなれば、保守派の方々も反対の大合唱となることでしょう(笑)。つまり、元首相の葬儀というのはそれだけで政治的な行事であると言わざるを得ないのであり、国民の血税でその費用を賄うべき本質を有していないのです。


個人的により重要な2つ目の理由、それは「天皇制との関係」です。

我が国は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」として天皇を頂点に戴く立憲君主国であり、天皇は我が国の元首に位置づけられます(これについては異論もあるでしょうが、私は歴史的整合性の観点からこのように考えています)。

そして、葬儀に税金を用いるということはすなわち、国民を挙げてその死をお偲び申し上げるということに他なりません。とすれば、我が国においてそのような葬儀が認められるのは元首たる天皇ないし皇族の皆様方に限られるというべきであり、いかに功績のある首相であろうと文化人であろうと、単なる一国民葬儀を国を挙げて行うことは、我が国の国体・国是にそぐわないのではないでしょうか。

先ほど1つ目の理由として述べた「内閣総理大臣の政治性」の点も、結局のところ、日本の首相が(アメリカの大統領などとは異なり)国家元首ではなく、日本国の統合の象徴ではない故に生じる問題なのです。畢竟、一切の政治性を排除した我が国の象徴である天皇陛下こそが、血税を用いて挙国一致その葬儀を執り行うべき唯一の存在なのです。


というわけで、世間で言われているのとは別の角度から、なぜ中曽根元首相の合同葬への予備費支出に反対しているのかを述べさせて頂きました。なお、故・中曽根元首相が立派な宰相であられたことは言うまでもありません。

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