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共依存

カップルカウンセリングを受けたのが2ヶ月前だ。以前にも少し触れたが、厳密には結婚関係コーチングで、カウンセリングよりもっと関係修復目的のコミュニケーションスキル習得に焦点が当てられてる。

それでもコーチの方は、多くの依存症問題を持つカップルをコーチした経験があり、彼女自身も夫と息子がアルコール依存を克服した背景があった。その彼女に、依存者の自助グループと依存者家族のための自助グループを、私たちは勧められた。

もちろん夫はそれを拒否したが、私は興味があったので、ネットで近所にローカルグループがあるのか探そうと検索してみた。そこで、依存者家族自助グループのサイトに辿り着いた時、私は「共依存」という言葉を初めて知ったのだ。

そうか、自分も彼も「共依存」状態であったのか。。。

そもそも私たちの関係は、「共依存」から始まっていた。22年前に結婚を懇願されたのも、隣町で就労VISAをサポートしてくれる日本企業に就職が決まっていた私に、彼が行って欲しくないという願いがあったからだ。結婚すれば永住権がもらえる。日本に帰国する必要はなくなる。そして、一緒にずっと暮らせるからだ。

それは「愛」と言えば「愛」ではあるのだが、ある意味私にとっては都合が良かった。確かに日本に帰国するわけでもないのだから、冷静に考えれば離れ離れになって様子を見てもよかった。

しかし、私たちはお互い出会う前に、苦い恋愛経験をしていた。その反動が大きく影響し、離れて暮らしたらお互いを失うかもしれないという恐怖が大きかった。だからお互いを必要としていたと言うことも、都合が良かったのかもしれない。

夫は子煩悩で世話好きな母親と、家事や育児に無関心な父親の元で育った。私の家庭も同じだったから、女性は男性の世話をするという無意識な価値観が備わっていた。最初はそんなつもりはなかったのだが、家事が下手な夫に文句を言う度にぶつかるようになり、それが段々面倒になり自分でほとんど担うようになる。

それなのに、何かあるごとに家事に協力していると豪語する夫。そんな夫に怒りをぶつける度に、逆上されて自分を責め罪悪感を感じるようになった。

当時は英語が今ほど流暢ではないから、自分の英語力のせいにもしていた。それとアメリカ人と日本人のコミュニケーションの違いであり、もっと視野を広くし、自分が英語力を改善すれば良いのだと思い込んでいた。

彼が子供を欲しがった時、本当は欲しくはなかった。なぜなら子供が生まれたら、私への負担が増え、軌道に乗り始めたフリーランスの仕事を諦めなければならない可能性があるからだ。彼は、私の不安は心配し過ぎであり、そうなるとは限らないと言い、私の不安をかき消した。また、私の収入なんて微々たるもので、彼の収入にほとんど頼っていたし、不妊治療費用が膨大にかかることも恐ろしかった。

彼側に不妊原因が見つかり、検査の流れで採精した後、体外受精をするか否かを迫られた。その時私は酷く悩んだ。私に体力的な負担がかかること、膨大な金額の治療費がかかること、そこまでした挙句に失敗した時の責任が自分に大きくのし掛かるからだ。

そこで、彼は私に罪悪感を与えるガスライティングをしてきた。
採精という手術までしたのに君は僕に協力しない、と悲しげにつぶやいたのだ。

まったく私の不安に理解を示さない彼に対し絶望感を抱いた。この時、私は本気で離別という文字が脳裏を過ぎるほどだった。

それなのに、私は彼の望むままに体外受精を決意したのだ。なぜなら、はっきりNOと言えるほど自分自身に自信がなかった。離婚できるほど、知恵も勇気もなかった。そして彼の望みを叶え喜ばせることにより、自分が必要とされてると感じたからだ。

それが愛だと信じていたのだ。

相手を満たすことに、安堵感を覚える。たとえ自分が満たされなくても、それで良いと歪んだ納得をしながら我慢してしまう思考は、まさに共依存だ。

何度も言うが、子供達が生まれたことに全く後悔はない。ただ育児は過酷だ。過酷すぎて、たとえ多産育児でなくても、産鬱にかかる人は多い。彼が育児にもっと協力的で私を大事にしてくれるのなら、ここまで過去の決断に対して後悔の念は抱かなかっただろう。

そして今回、彼がアルコール依存症であることを知り、それに対して怒りの念が生まれた。

たとえアルコール依存のプロに指摘されようと否定し続ける夫。
泥酔して意識を失い、子供達に写真まで撮られてるいるのに、お酒を毎日飲み続ける夫。

しかし、実は最近この怒りの念は、段々と薄れて来ているのだ。セルフケアの一環 として、2週間に一度カウンセラーに会うようになり、今まで自分が共依存の関係にあったことを確認したからだ。

また、共依存に関する本「Codependent No More」(Melody Beattie 著)を読み始め、自分自身の思考と言動の癖がわかって来たのだ。

共依存から抜け出す糸口は、自分自身の幸福を最優先する事である。自分の気持ちに正直になり、自分をいたわり、たとえ相手の気持ちを害そうが自身が必要してる事を優先しないといけない。

そのためには、相手を変える事はできないことを理解しないといけない。
相手の問題を自分が解決すべきという思考は捨てないといけない。
相手の世話をしないといけないといった思考も捨てないといけない。

つまり自己犠牲をすっぱり捨てないといけないのだ。

一緒に住んでる限り、相手が毎日お酒を飲み続けている限り、この思考へのシフトは正直難しい時もある。

1ヶ月前に、また泥酔して失態を子供達の前で晒したら、私はもう黙らないと、本人に釘を刺した。はっきり「父親はお酒の問題を抱えている」と言うつもりだ。

それでも彼は飲み続けるのはわかってる。そういう病気だから。だからもう彼に関わるのを辞めた。私の中では、彼を夫として捉える「愛」はもうすでにない。彼はただ単に「子供達の父親」としか捉えてない。飲みたいなら飲めばいい。私は心配もしないし、気にも留めない。子供達に危害さえなければそれでいい。

今集中すべきものは、再就職へ向けて職探しをし、今までやりたくてもできなかった事を勇気を出して実行し、子供達のニーズに応える事だ。

自立への一歩を踏み出している限り、たとえそれが大きな変化でなくても大丈夫。

そう毎日自分に言い聞かせて頑張っている。


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