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無関心という狂気

夫はもともとシャイなので、自分から人に話しかけることはあまりしない。それでも無表情ではないし、こちらが話しかけると応えるし、「人情」が表情に滲み出て、いわゆる標準的な良い人という印象だ。

しかし、この数年はそれがどんどん薄れていった。娘が3歳くらいだった頃だろうか。私の友人の娘ちゃんとうちの娘が同年代なので、復活祭のエッグハント兼ランチ会を我が家で行うことがあった。ちょうどその時、義両親も訪問滞在してたのだが、友人家族がやってきたのにも関わらず、夫は挨拶だけして両親とずっと別の部屋でソーシャルしてたのだ。

あまりにも失礼な態度で、唖然とした記憶がある。シャイで社交が苦手なのはわかるが、彼らは私の友人なのだ。娘の友人でもある。それなのに、まったく社交する態度がない事に愕然とした。

以前はそんなに酷くなかった。日本人会主催のピクニックに行っても、一応多少の社交はしていた。会社のパーティーの席でも、一応本人のコンフォートゾーン領域(つまり社交しない領域)をなんとか打破する努力は見えた。

以前の彼なら、街角で会った見知らぬ他人に、出会い頭に挨拶することさえあった。それなのに最近はむっつり顔で、他人に目を合わせようとしない。

フレンドリーな娘のママ友が話しかけて少し応えるが、「話しかけないで」オーラが凄いので誰も寄り付かない。娘の試合観戦でも、義両親が同席してない限り、ひとりぽつっと隅で観戦してる。

私が一番耐えられないのは、それだけではない。とにかく私が話しかけない限り、挨拶以外は会話をはじめないという根本的なものだ。それがここ数年ひどくなったのが耐えられなかった。子供達にはするのに、私にはしない。子供達には興味はあるが、私にはまったく興味がないのだ。

もちろん朝晩の挨拶はする。毎日の予定は確認しあう。出かける時は、どこへ行くと相手に知らせる。それだけだ。それ以上は、なにも話さないのだ。

今回のことが起きても、それは続けている。子供達の前で喧嘩することはしない。子供達が私たちに話題を振っては普通に会話する。ただ、二人で「会話」はないし、もうしたいとも思わなくなった。

むしろトラウマのせいで、二人きりで一緒にいる空間が私は耐えられない。緊張して胸が苦しくなるのだ。

私には自分の部屋がない。それは長いごとそうだった。寝室が4つ、居間が二つ、ダイニングルームがひとつ、フルサイズの地下室がひとつ、そして書斎がひとつという大きな家に住みながら、私には自分の部屋がない。今年の1月に寝室を彼に開け渡して以来、夫は寝室と書斎を占領しているのに、私は埃だらけの地下室で寝ている。まるで、住み込み家政婦のように。。。

それでも、彼は何も言わない。申し訳なさそうなコメントもない。たった一度だけ地下室の騒音に関してコメントをしたのみ。彼はなにも感じないのだ。おもいやりという言葉が、私に対してまったくないのだ。

ずっと長い間、私は回し車でひたすら走り続けるハムスターのようだった。ひたすら彼と繋がりたいという思いで走り続けていた。でもそれはどんなに頑張っても得られないと言うことがわかった。

どんなに言葉で「愛してる」と彼が言っても、私にはそれが愛とは思わないい。態度と行動が、私が求めている「愛」ではないからだ。

人間は肌と肌が触れ合い愛を感じる。彼はそれを与えてくれない。どんなに私が与えても、彼から受け取ることはほとんどなかった。だから私は、犬や子供達からふれあいを得て、精神の安定を保っていた。

この先、子供達が大人へと成長し、親とのふれあいを必要としなくなった時、この人と一緒に暮らすことは拷問でしかないと悟った。一度愛した人と一緒に住みながら、寂しさを感じることほど精神的な拷問はない。

だったら一人で暮らし、寂しいと感じることの方がずいぶん楽である。その方が自分自身に集中できるし、同居する他人に期待などせずに自由に暮らせる。なぜなら寂しくても物理的に期待するものがないからだ。

早ければ末娘が中学に上がる頃、遅ければ高校に上がる頃に、別離を実行したいと思っている。それまでに、就職し貯金をして、離婚に関する法的な情報を集めて準備を備えておこうと思ってる。

人生は長いようで短い。ほぼ50年近く生きた自分の人生は、もう後半に差し掛かっている。十分迷走し我慢もしたと思う。

だから、残りの人生を自分軸に立て直したい。
ただ自由に、そして幸せに生きたいだけなのだ。

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