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岡野すこやか君とカンテヒョン君

この二人がどんな関係かと言うと無関係なのだが、それはさておき岡野すこやか君とカンテヒョンくんの話をしたいと思う。

岡野すこやかくんに関してはこのtiktokで存在を知った。

向かって右がすこやか君(本名らしい)であるが、どうだろう。あまりにも愛のかたまりではないだろうか。赤子の頃から親を始めとした周囲に愛され見守られ育った存在すぎる。大切にしていきたい。
こんな子を芸能界とかいう汚い場所に置いていいのだろうかという不安さえ過ぎるが、何はともあれ親御さんの判断を尊重したい。周囲に温かく見守られ成長してほしい。

彼は旧ジャニーズのジュニアであるらしい。私はジャニーズというものを通ったことがなかったので、こんなに幼い子もいるんだということを初めて知った。

一方でカンテヒョンくんである。

彼もまた子供の頃から芸能界に入り露出をしていた。
この頃はアイドルを目指していたわけではないようだが、幼い頃から人に見られる環境にあったという点では岡野すこやか君に近いと言えるだろう。

しかしながら、すこやか君とカンテヒョン君のいわゆる「子役像」(すこやか君は子役という括りではないと思うが、便宜上こう総括させて頂く)はかなり相違がある。

寺田心くんが出てきたときの事を覚えているだろうか。彼が出てきたときの衝撃と岡野すこやか君が出てきた時の衝撃は似ている。

人間の最もしょうもない思考のひとつに、「俺(私)が今の記憶のまま子供に戻ったらもっと子供らしく振舞ってかわいがられちゃうけどな〜」というのがある。
心くんやすこやか君は、この大人のしょうもない考えをそのまま実践しているため、「畏怖」の目で見られることがある。
子どもらしさの誇張。戯画としての子ども。それはその振る舞いに反して「大人の思想」を帯びている。子どもはかわいい、その「武器」を余すことなく使う子どもに大人は怯えるのだ。

対して、カンテヒョンくんはおそらく芦田愛菜ちゃんのような、「大人の振る舞い」をするタイプの子役だったと思われる。
弁が立ち頭の回転が早く、大人顔負けの子ども。しかし大人はそういう子どもにはあまり畏怖を感じない。「しっかりやっているなあ」という感じである。
子どもの武器であるかわいらしさを振り回さない子どもに対して大人は寛容だ。武器をかざさない大人のミニチュアであるからだ。

そんなこんなで子役の傾向を分析してみたが、そんな事より、そういったクールな子役であったはずのカンテヒョンくんに変化が起こっている。

すこやか化

いや、すこや化と言ってもいいかもしれない。呼称はどうでもいいのだが、最近のカンテヒョンくんは非常にそのかわいさを振りかざしている。

これはcan't you see me?(2021)の頃のカンテヒョンくんである。どうだろうか。ダイヤモンドの擬人化と言っていいだろう。あるいは思春期特有の万能感の擬人化だ。こういう顔で青春を過ごしたかったという思いの具現化だ。

年齢としてはまだ少年であったカンテヒョンくんは、ここであまりそのかわいさを振りかざしていない。むしろしまいこんでいるように見える。
それは芸能界で大人に軽んじられないようにする抵抗だったのかもしれないし、単純に思春期ゆえの反抗であったのかもしれない。

しかし、今はどうだろう。

すこやか……

どうだろうか。あまりにもすこやかではないだろうか。
思春期の万能感というのは言わばはしかであり、やがて熱は冷めていくが、カンテヒョンくんはそれを経て今確実にすこやかになっている。

かつての姿が抵抗ならば、今の姿は受容と言えるだろう。実際に数字として成人し、軽んじられることも少なくなっただろう。ゆえの、自分の愛らしさへの受容だ。もう武器を振り回しても何も言われない。

まあ、そんなこんなでいろいろ書きましたが、岡野すこやかくんもカンテヒョンくんもすこやかに愛らしく育てよ、って事です。

かわいいなあ……

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