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潜伏キリシタンの信仰について1

西洋音楽史学者の皆川達夫(みながわ・たつお)氏が亡くなられた。享年92才、老衰だそうだ。

90才を過ぎても精力的に活動を続けられていたことは記憶に新しい。大往生と言える天寿を全うされたことは、昨今のコロナ禍を考えれば羨ましくもある。謹んでご冥福をお祈りいたします。

氏の専攻は中世・ルネサンス音楽であり、したがって宗教音楽の第一人者でもあった。日本の西洋音楽史研究を大きく前進させた大学者と言えるだろう。なかでも皆川氏の偉業として私が挙げたいのは、潜伏キリシタンのオラショ『ぐるりよざ』の原曲を発見されたことである。

詳細については以下の記事を参照されたい。

(↑ 立教大学での講義の要約)

(↑ 先生ご自身による回顧録のような記事)

上記の記事を簡単に要約。
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皆川氏は1975年、長崎県生月島(いきつきしま)に伝わる潜伏キリシタンの信仰行事「オラショ」に同席する機会を得た。

オラショで唱えられる独特の祭文には、明らかに日本語でない言葉が含まれていた。その言葉の意味を現地の人に尋ねても、「唐言葉で意味は分からない」と言われたが、ヨーロッパの宗教音楽史を専攻する皆川氏は「ラテン語が訛ったものではないか」と直感した。

そこから潜伏キリシタンに興味を持ち、研究が始まった。オラショの録音、唱えられる言葉のラテン語比定と、儀式後半に独特の節回しで唱えられる『らおだて』『なじょう』『ぐるりよざ』3つの「歌オラショ」の原曲である聖歌探しを一年かけて行った。

研究の結果、16世紀の聖歌集などから「歌オラショ」の原曲3曲が比定され、それを発表した。しかし、「ぐるりよざ」には自信がなかった。引き続きヨーロッパ各地の図書館などを巡り続け、7年後の1982年にスペイン マドリードの図書館で一冊の聖歌集を見つける。その中には紛れもなく『ぐるりよざ』の原曲である『オ・グロリオザ・ドミナ O gloriosa Domina (栄光の聖母よ)』があった。

「それは、現在なお世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、十六世紀のスペインの一地方だけで歌われていた特殊なローカル聖歌であった。それが、四〇〇年前にこの地域出身の宣教師によって日本の離れ小島にもたらされ、はげしい弾圧の嵐のもとで隠れキリシタンによって命をかけて歌いつがれて、今日にいたったのである。この厳粛な事実を知った瞬間、わたくしは言いしれぬ感動にとらえられ、思わずスペインの図書館の一室で立ちすくんでしまったのであった。」

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この研究の素晴らしさは、西洋音楽史学者、いわば門外漢である皆川氏が、民俗学・文化人類学的フィールドワークと文献史学の手法を用いて、スペイン出身の宣教師が生月島に来ていた事実を証明してみせたことにある。また、スペインでこの聖歌が歌われていた時代が限られており、明治時代以降に流入したキリスト教の知識によって創作された習俗でないことが明らかな点も重要である。

メディア等では通説を覆す研究が「大発見」として大きく取り上げられるのだが、このように他分野の学者によって通説が支持され補強されることは、歴史学的に厚みを持たせる大きな価値がある。

もう一つは日本の音楽史上の功績である。江戸期より前に成立したもので、当時の旋律が分かる曲は日本音楽にはない。もちろん雅楽や声明(梵唄)・能楽など、古代・中世以来の系譜を持つ音楽・芸能はあるが、口伝や楽器等の進化によって同じ譜でも旋律が変わっている可能性があり、時代経過によってどの程度変化したのか、あるは変化していないのか、それを知ることは難しい。

「歌オラショ」は原曲の西洋音楽の譜面との比較から、数百年の口伝によって旋律や歌詞がどのように変化したのかを知ることが出来る点で類稀である。

(集落によって名称・歌詞・メロディーがやや異なる)

(原曲)

『ぐるりよざ』の旋律は原曲とかなり違って聞こえるが、その響きは民謡や仏教の声明とは違い、どこか聖歌の雰囲気を残しているように感じる。また、その祈りの言葉は驚くほど原型を保っている。

文字資料に頼らず、宗教者を持たず、秘匿されてきた信仰行事が、16世紀の原型を残して伝えられたことの貴重さ。皆川氏が光を当てなければ、誰もその価値に気づかぬまま失われる可能性もあった習俗である。

2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡」が世界文化遺産に登録された。この評価にあたって参考された研究に皆川氏が直接関わられたものはないが、氏が40年前に発表した研究に影響を受けたものは少なくない。
世界にこの貴重な信仰文化を知らしめた立役者の一人に、皆川達夫氏がおられたことを記憶していたいと思う。

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