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シンダコ

旅行先で聞いた話。
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私が子どもの頃は、どこの街も少し行けば田畑があった。畑があれば肥溜めがある。バブルまでは普通の光景だ。
もっとも、私のころには随分と肥溜めも減っていたようで、学区に二つあるだけだったと思う。肥溜めのある道は通学路から外されていたが、放課後に悪ガキが集まって、近づいては「臭い臭い」と騒ぐのが、子ども時分の楽しみの一つでもあった。

はとこが肥溜めに落ちたのは、私が中学生のときだった。その子は私の5つ下で、9つくらいだっただろう。父方で名字も同じ、家も近かったので付き合いは良かった。その日は夕方、ちょうど食事の始まる前に、その子の両親が挨拶と詫び入れのために我が家へやってきたことを覚えている。聞けば可哀相に、やはり近所の悪ガキと一緒に見に行って足を滑らせたらしく、正確に言えば足が嵌った程度だったという。

昔からよく言われることに、肥溜めに落ちたら改名せねばならん、というのがある。肥溜めはあの世の入り口で、落ちた者は死んだのだから、前の名は名乗れないというものだ。そんなものは迷信だと気にしない者もその頃には多かった。しかし、信心深い地域ということもあったし、家業柄どうしても験を担ぐところがあり、その子の家はもちろん、我が家を含めた親族の反応は激烈だった。

はとこに何が起きたかを言う前に、家の事情を説明せねばならない。血筋で言うと、はとこの家は我が家より本家に近く、また本家の当代には跡継ぎがいなかったので、はとこは高校を出たら本家に養子に入り、当主を継ぐことが生まれた時から決まっていた。それで、名前は本家からいただいたものだった。通字(とおりじ)という歴代当主の名前に入る漢字が一字使われていたので、この辺りの人が聞けば皆、「ああ、○○家の次の当主だな」と承知するような名前だった。

ところが、この事件でその名前が使えなくなった。はとこの両親は本家に相談したが、本家は冷淡だった。元より両家の折り合いはそれほど良くない。というのも、本家は幼いうちから子どもを引き取って養育したかったが、はとこの母親がこれを突っぱねた。そして、足元を見るように色々と条件を付けて養子入りの算段を立てたので、本家は内心で苦々しく思っていたのだ。
本家の立場からすれば、自分たちで育てると言い張り養育費を受け取っておきながら、大事な跡取りが肥溜めに落ちる事態を防げなかった、はとこ家への怒りもあったろう。

本家は、「名付けを菩提寺の住職に頼んだので、寺の系図にも名前が残っているし住職にも申し訳ない。大事な通字の入った名を捨てる事は許さない。だが、同じ名前を使うことも縁起が悪いので許さない。」と無理を言った。
そうして、はとこは前の名前は使えず、新しい名前も与えられなかったので、親族や村の人から「ボク」とか「ボクちゃん」と呼ばれるようになった。後に養子に入った本家では「きみ」か「死んだ子」と呼ばれていたようだ。ようだ、というのも、彼は義務のように成人後すぐに結婚し、男の子を二人もうけて、30才になる前に死んでしまった。あの事件の後、私が彼に会って話す機会は三度もなかったと思う。中学・高校にも通っていたと思うが、彼はどんな集まりにも出てこなかったし、今思えば、息を潜めるようにして生きていたのだろう。悪いことをしたと思う。

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昔から、肥溜めに落ちた人は出世するとも早死するとも言う。出世も早死も常ならぬ者のそれであるが、即ち汚穢を通じてあの世を垣間見た者が、人ならぬモノに変ずることを意味するならば、黄泉の国で朽ちたイザナミの神話に一脈通ずるものがある。また、スサノヲが天上界で犯した罪に「屎(くそ)まり」「屎戸(くそへ)」がある。語義からいえば「糞尿をすること」であるが、特に神聖な場を汚す行為としてこれが忌まれている。こうした古代的な信仰が近現代に表出した例として単純に捉えられるものではないが、日本の浄・不浄観や他界観を知る上では重要だろう。

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