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あめます舎日記#6 夢のきろく


2024年5月29日

あめます舎には2階があります。私はそこにおふとんを敷いて寝ています。あめます舎に住むようになって、感じるようになったことは、「毎日」のルーティーンを大切にしなくてはいけない歳になったんじゃないかな?ということと、どうして、若いときにはそういったことが億劫だったのかな、ということ

あめます舎のある敷地のなか中に紫陽花が咲き始めました
梅雨か?

夢をみたので、忘れてしまうので書き留めておこうと書き始めました。
今日の夢は案外いい夢だった。
なんか私がいるマンションの部屋みたいなところに、大人(母親)が、数人(たぶん3人)やってくる。こどもを連れて。子どもは、赤ちゃんもいて男の子も女の子もいたような。未就学児ぎりぎりくらいの年齢かな。それで赤ちゃんは寝ていてなんだか子どもたちも私がおふとんを敷いているところに寝に来るんだけど、なんか、墨と赤い(たぶん)絵の具にまみれていて、「え、おふとんにもぐりこんだら、汚れるじゃないか?!」と思い、私は中心人物と思われるお母さんに「出て行って、どうしてこんなこと」のようなことをけっこうきつく言う。「私の家ではないんだから」「子どもを自由に遊ばせてあげるには環境を整えてからじゃないと」「子どもたちは悪くないんだから」とかいうようなことを言ってその数名を追い出す。

最近はまっている「ローズマリーウォーター」
サミットで汲んできた「美味し水」にパレット花壇に生えているローズマリーをいれただけ
「記憶力」がアップするらしいwという話を聞いて、飲んでいる

そして、じぶんが「あれ?ここって誰の家だろう」と思っていたところに、マンションの廊下の先の扉をあけて、ジーンズのミニスカートを履いた肌の色が黒いめちゃくちゃかっこいい女性が、紙袋を抱えて入ってきて、私をみて「だれ?」という。ガーン、酔っぱらって人の家で寝ているのか?と思い、思いだそうとするけど、全く思いだせない。
女性の持っていた紙袋の中身は美味しそうなサンドイッチで、彼女は「覚えてないの~?」とかなんとか言ったかな?また入り口にだれかきて、彼女は「え、来てくれたの?」とかなんとか言ってすごく待っていた人が現れたような体で、ドタバタと部屋を出て行き、いれかわりに、マッチョな男性が入ってきて、私に話しかける。その男性いわく、私は、そうだな、いわゆるいまどきの抱っこ紐に赤ちゃんを入れて運んでいるような若いパパさん様の人に連れられてココに来たらしい。そして、彼はサンドイッチを食べながら、「〇〇ってだれだ?」って聞く。私がその名を呼んだということか。そして「私ってシシツがあるのかなあ?」と言ったそうだ。で、なぜか、近所のおばさんみたいな女性(なんで急にそこに?夢だから仕方ない)が私にサンドイッチを食べるように促し、私は、今日の予定を思いだして、午前中の約束に間に合うように帰れるのかな?と考えていた。(夢の中の設定ではそこはなんとなく六本木だった)
そんな感じの夢。

5月12日の「せたがや杜の楽校」の開校式の日に岡本にある公園で保護したイシガメ
杜吉と名付けてお世話することに。ケガをしていたので通院中。また、杜吉のことも書きます。
女の子です。

たまに、すごく面白い、というか、いまの続き見たいなとか思う夢を見て「面白かった」ということは覚えているんだけど、それ以上のことが思いだせなかったりします。私の見る夢はすでに夢というだけで断片的で、ちぎれた場面場面がつながっているだけのようなので支離滅裂なのだけど今日は、書き留めることができたので、これを読むと、その場面を思いだすことができます。

あめます舎前の区道の予定地のぐるりのアスファルトを剥がした花壇。春夏の花に植え替えました

そういえば、若いときは一大スペクタクルというか、すごく面白い映画のような夢をみていたのだけど(内容は思いだせないのだけど、目が覚めた時は続きが見たい思いと、今のが映画だったら絶対面白い、とか思うのだけどどうしても思い出せない。だけど、私の脳の中にそのアイディアはあるのかもしれない、出てきたら売れる映画が作れるのではと思ったりした)最近はほぼ日常のような夢を見ます。そして、知っている人、会ったこともない人、生きている人、死んでしまった人などがごちゃまぜで出てくるのです。

5月は「せたがや杜の楽校」の開校式やなんか、いろんなことをやりました
あめます舎の近くの大蔵3丁目公園の一画に「せたがやガーデン」を設置
アレックスのカーゴバイクに雨水を溜めたタンクを載せて水やりに
岡本の友人が、早朝散歩がてら水やりにきてくれたりも
これからどんな展開になるのか楽しみ

いつか、眠っている時間が多くなったら、そんな夢の世界で生きて?行くのかもしれないな


5月に、長年の朋友が息子さんのために用意した「鯉のぼり」をあめます舎にかけてもらいました
予定では、5月25日に誕生し、今年がいわゆる「初節句」だったはずの次女の息子
3月3日の桃の節句にあわてて?この世にあらわれ、数か月を病院ですごしたりなどありましたが
おかげさまで1歳を迎えることができました
なにができるとか、なにができないとか関係ない
この世にいてくれてありがとう

書くことは苦行か

この間、二子玉川まちメディア「futakoloco」の会議?報告会?のような話す場で「書くことって苦行なんだよ」と口が滑ったのだけど「公に向けて書くことは苦行」というニュアンスだったんだろうか、自分。現にメモのようにこうして書くことは全然苦行ではないのです。むしろ、楽しい。

せたがや杜の楽校の開校式5月12日は「母の日」だった。
母になった次女は、育児の合間にカーネーションの絵とメッセージを書いてくれた
右の折り紙は「おでかけひろばゆるり」のスタッフの一人が折ってくれたもの
ゆるりにやってくる「おかあさん」にお渡ししました
ほんとうに小さなおともだちたちを産んで一生懸命育ててくれる世界中のお母さんにありがとう
「せたがや杜の楽校」のプロジェクトは長女の運営するpollinators(ポリネーターズ)
協力してもらっています。
開校式の日、カーネーションの鉢植えを持って飛び込んできました
とても嬉しかったです。
東京に出てきて40年以上が過ぎ、尊敬する父は10年前に亡くなりました
大分でひとりぼっちで過ごしていた母
紆余曲折のあと近くのグループホームに入居できました
多くの方にご協力をいただきほんとに感謝しかない

だけど、「書かなきゃなあ、」と思っていると、毎日がとてもつらいのです。なんでもそうなのかな。前に、futakolocoに連載していたコラム「どうぞのごはん」に書いたことあるけど、ごはんを作るのも、家族で一緒に住んでいた時に「食べさせなくちゃ、作らなきゃ」と思って作っている時はつらい思いの方が大きかったけど、今は、お料理するのは好きかもな、って思うし、苦行でもなくなりました。だけど、「どうぞのごはん」として「どうぞ」するだけの時は楽しいんだけど、いわゆる発注のような感じで〇人前とか作らなきゃ、ってなっちゃうと急につらさが産まれてくるような。

あめます舎に黒板掲示板が復活
お向かいに「長屋」ができるのでそちらの工事日程などお知らせする予定
5月18日には、「エディブル東京ラリー」に参加
(あ、この写真のチョークのタイトルまちがっとる。そういえば、この後書き直したんだが・w)


楽しく暮らす

おでかけひろばのスタッフが「こんなに楽しいことばっかりしててお金をもらっていいのかしら~」といってくれたことがあって、とっても嬉しかったです。でもそれと同時に、私も含め私のまわりの多くの人が「つらい思いをしないと生きられない(お金がないと生きられない社会なので)」と思っているのかも?と思い、もっとみんなつらい思いをしないで生きていくのが当たり前、な世の中になったらいいのになあ、と。

5月6日(月・祝)世田谷区瀬田四丁目旧小坂緑地で「風のコンサート」を実施
妖精みたいなPePさんを囲んで、オトナもコドモも楽しみました
最後に集合写真を撮らせてもらいました

若いとき、歌ったり踊ったりして暮らしたいと思っていたけど、そんなことじゃ生きられないんだな~と思って就職したことを思いだしました。3月4月は、年度末と年度初めで、パソコンに向かって仕事しなくちゃいけないことが多く、このあいだ、ひさしぶりに緑地の整備にまじめに行きました。

世田谷区瀬田四丁目旧小坂緑地の庚申塔
「風のコンサート」の時にはまだ咲いていなかったどぐだみの花がたくさんだったので
少し抜きました。どくだみを嫌う人は多いけど、私は大好き

どくだみの花が咲き始めていて、それを摘みながら、「お花畑で花を摘みながら生きて行けたらいいのにな、」って思っていたことを思いだしました。

夢がかなったのかも

「せたがや杜の楽校」の開校とともに
ぼちぼち「杜のアトリエ」を始めようとしていたところ
旧知の方から「子どものアトリエゆるり」に問い合わせが
これからのアウトラインが少し見えた気がしました


5月31日、今日は雨。
晴耕雨読、今日はおやすみかな
遊びをせんとやうまれけん!


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