CATS苦手な私が4日間で3バージョン観た話

タイトルのままだが、私はキャッツが苦手だった。つい最近まで。ストーリーがないコンセプトミュージカルも(これは現在系で)苦手だ。なのに、映画を観て、衝動的に2日後の舞台のチケットを買い、舞台を観たあとにアマプラで舞台の録画(純粋に舞台を撮った訳では無いと思うがステージとセットを使って撮影されているはず)をレンタルして観てしまった。人生分からないもんだね、という話。自己満です。

まずは私とキャッツの出会いから。私の初キャッツは2014年の福岡公演。中学生の時だ。そしてそれが人生初ミュージカルだった。若い頃は観劇好きだったらしい母がチケットを取ったものだとつい最近まで思っていたが、実はミュージカル嫌いを公言している父が取ったらしい。

まじかよミュージカル嫌いなのにキャッツは観たかったのか?そして子供にも見せたかったの?正気か?と知った時思った。なぜなら2つ下の弟はほとんど全編爆睡していたし私だって寝そうだった。話は分からなかったし猫もたいして好きではなかった(今は大の猫好きだが)。暗闇に光る目が不気味だったことはとてもよく覚えている。強烈に覚えているのは得体の知れないものに対する恐怖。ぞわぞわ鳥肌が立つ感覚。そして一番印象に残ったのがジェニエニドッツのシーンのゴキブリのタップダンスだったのだ。もう観られた方は気づかれてると思うがだいぶ序盤だ。メモリーでもなんでもなく中学生の記憶に残ったのは1幕序盤のゴキブリだったのだ。

そんなこんながあり私はキャッツが苦手になった。いや、そのときはミュージカルなんて苦手だと思った。何がいいかさっぱりわからなかったのだから。

その2年後高校生になった私は皮肉にもALW(キャッツの作曲家)の代表作、オペラ座の怪人にドハマリして高校生にしてラミン🥺とかシエラ🥺とか言っているのだから本当に人生わからないものだ(大学生になってファントムのラミンとラウルのハドリーに生で会えるなんて高校生の私に言っても信じて貰えない。ましてラミンは日本でミュージカルやってくれるなんて!)。加えて私をミュージカル沼に突き落としたのは2016年の東宝エリザベートなのだがそれはまた別の機会に。

そう、なんやかんやあってキャッツが苦手な中学生は観劇大好き人間に成長したのだ。喜んでいるのは母だ。血は争えない。今では年に30本程度観ている。多いときは月に10本近く観たりもしたが今は学業が忙しい。年に何度かは母とも観劇する。東宝から劇団四季、来日公演、気が向けばストレートプレイやバレエまで幅広く。大学生なのでお金はないがバイト代がチケット代に消える生活はなかなか楽しい。

何回か一緒に観劇している四季好きの友達に、キャッツ回転席(前方の席で文字通り回転する)で観ようよ!と誘われた時は迷った末に断った。楽しめる自信が全くなかったのだ。キャッツに1万円は絶対に出せないと思った。一日のバイト代だ。分からない話を観るのに諭吉が消えるのは避けたいと思った。好き嫌いではなく、「分からない」自信があった。それが去年の話。

観劇が趣味になり、いろんな作品を見ていく中で苦手な作品の形が二つ確立された。ジュークボックスミュージカル、そしてコンセプトミュージカルだ。そう、私はキャッツのような形式のミュージカルが苦手なのだ。そう気づいてから私の中でキャッツという演目はいつかまた観たら楽しめるかもしれないけどその可能性は低いしお金は出したくないし、とある意味ギャンブルな、なかなか手を出せない高嶺の演目になったのだ。


ここで転機が訪れる。そうキャッツの映画化。映画とは不思議なもので拘束される時間は観劇と大して変わらないのにとても行きやすい。値段も安い。いつも行っている映画館は千円だ。1/10諭吉だ。映画鑑賞も趣味で年間50本くらい観ているが、そのうちの1本が話が分からなくたっていいだろうと思った。

ミュージカルファンとしてミュージカルの映画化はいろいろな問題があると思っている。私が特に問題だと思っているのは映画が初見で舞台を見たことがない人が持ってしまう先入観だ。舞台はある意味、観客個人の想像力に任されていることが多い。映画ではそれを描き切ってしまうのだ。他人の目を通して観たストーリーになってしまうのだ。見に行くハードルが低いのは圧倒的に映画であるからこそ映画化が興行的に成功すればするほど舞台→映画ではなく映画→舞台の人が増える。それは私自身も実際にレミゼラブルで体験した。それが悪だとは思わないが、とにかく舞台の映画化は責任重大である。まあそれは今回はおいといて。

レミゼラブルでトムフーパー監督の顔面アップ多用に辟易した私としてはキャッツも怖くはあったがまあいけるだろうと思った。とにかく、キャッツへの自分の中の壁を壊すのにこれ以上ないくらい最適なコンテンツだったのだ。

一言で感想を言おう。泣いた。号泣した。

ビジュアルは一旦保留にしよう。コンセプトが苦手なのは前述したとおりだが、映画に関しては少しストーリーがあった。ヴィクトリアを主人公においたこと良かったと思う。正直これが分からんなら舞台見たらもっと分からんぞと自分も舞台わからなかったくせに怒りたくなった。

だがしかしゴキブリは絶対許さない。私が唯一覚えてたゴキタップをあんなことにしてしまって…一番ネタになってるじゃん。許さない…。

ダンスと歌が強みなのに特にダンスに関してはもうすこし何とかなっただろという感想を抱いてしまう。踊れる人を使ってるはずなのにCGで踊りが霞むってなんてもったいないことをしてるんだろう。マンカスに至ってはロンドン版パリのアメリカ人のジェリーなのだ。ググってくれ。そりゃかっこいいわ。なんてもったいない。


…これで踊りに迫力があるのなら、最高なのでは。


そう思ってしまった。思えばこの段階でかなり私の中で壁は壊れたのだ。いつのまにかキャッツを楽しんでいる自分がいた。正直驚いた。気付いたら2日後のチケットを取ってた。気付いたら8/10諭吉だ。映画も入れたら9/10諭吉だ。ほぼ1万だ。だがもうそんなことは気にしない。

そしてキャッツってそもそもなんなんだろうとここでとりあえずwikiを読んでみた。

『キャッツ』(Cats)は、T・S・エリオットによる詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」(The Old Possum's Book of Practical Cats)を元にした、アンドルー・ロイド・ウェバーが作曲を手掛けたミュージカル作品である。(Wikipediaより)


………なんだ。

分からなくて正解じゃないか。むしろ詩集を理解しようとする方が馬鹿げている。分からないなりに楽しめばいいんだとやっと気づいた。(遅い)

そしてwiki読んでたら四季版、結構BWとかWEと違う。へえ、シラバブとジェミマ両方いるんだ、え、同じ子じゃないの、とか。そういうところもわりと自由なのかな。おそらく。(今はBWやWEと似た感じになってるけど昔はもっと四季オリジナルな部分もあったらしい。それはそれで観てみたい。)

そして私が観る週からのキャスト変更でなんと佐久間さんのタガー。観てみたいなあと思ってた上川さんには逃げられる形となったがこれだけで私のモチベは爆上がりした。映画では声たけーな去勢されてんのとか言われていたタガーだがなんたって佐久間さんだ。かっこいいはずだ。だって彼は私一押しのフィーバス(ノートルダムの鐘)なのだから。正直キャッツで観れるとは思ってもいなかった。嬉しい。(みんなノートルダムの鐘もみてくれよな次は福岡。そう。私が初キャッツを観た劇場だよ)

佐久間タガー、それはそれはかっこよかった。足が長すぎた。でかかった。色気とやんちゃの塊だった。これがタガーだと思った。(映画はあのタガーはあれでもよかったが)トムフーパーはレミゼのアンジョルラスといいタガーとミストの絡みといい私の好きなシーンを削る天才かと突っ込みたくなった。

そう。映画版のミストフェリーズはとてもなんというか弱くて常にびくびくしている男の子だったが(それはそれでとても好きだ)、舞台だと誰よりも踊りが上手いのだ。演出も含め、ミストナンバーのワクワク感ったら!なのにデュトロノミーを取り戻すマジックのあとでかわいそうになるくらい震えている。それに気づくマンカスとタガー。。ああなんでこのシーンを残してくれなかったトムフーパー!!

そもそも、映画ではミストの紹介はマンカストラップだが舞台だとタガーがやる。あの天邪鬼タガーがミストの紹介をするのだ。ああ、こんな賢い猫は見たことない!って。なぜそれをマンカスにやらせたトムフーパー!!


数年前の私が書いた文章、途中だけど何回読んでもおもろいから公開しちゃお
このあと私大井町キャッツ終わるまで20回以上見ることになります。
マンゴとランパスとボンバル推しです。ミストも好き。ジェミマも好き。みんな好き。(なんだよ)
数年前の私完成させといてよめっちゃおもろいよこれ





























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