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アンチていねいな暮らし

持ち物にこだわりがありそうとか、ていねいに暮らしてそうとか、よく言われる。マーガレットハウエルの丸襟の白シャツや、無印良品のネイビーのスカート、ヒールの太いパンプスやローファーなど、すごくよく似合う。エプロンとか、金属縁の丸眼鏡もかけたらたぶん似合うだろう。自宅では急須でお茶をいれそうだ。

自分がていねいな暮らしが似合ってしまうことはわかっている。だからいっそう嫌いだ。私はそんなんじゃないのに…!そう密かに自意識をつのらせている。

できればジャンクに暮らしたい。面倒くさいこと抜きに、快楽におぼれたい。絹のパジャマではなく、昔の彼氏のバンドTシャツを着て眠りたい。下着が汚れたら容赦なく捨てたい。伝染したストッキングを掃除に再利用したくない。無添加の自家製クッキーではなくオレオを食べたい。服は洗濯機にぶっこむか、まとめてクリーニング屋に持っていきたい。

バイブスで生きていきたい。人を好きかもと思って、5秒後に嫌いになって、また好きになりたい。酒の勢いでよくわからないセックスをして、帰り道にコンビニでおにぎりを買いたい。深夜に意味不明のポエムをツイートして翌朝ぜんぶ消したい。正しさや、意味や、効能のいっさいを無視したい。

ていねいな暮らしは、健康に穏やかに生きるために手間をかけることを正当化する概念だと思う。そうやって生きる人々を否定する気持ちはないが、その正当化にはなんだか腹が立つ。健康が正しいとか、穏やかが正しいとか、手間をかけるのが正しいとか、そんなわけないじゃんか。私の「アンチていねいな暮らし」は、「アンチ正しさ」に基づいている。


「非・ていねい」の持つ不安定さは、なんというか、言葉にできない魅力もはらんでいる。いつだって突然キスしたり突然死んだりしそうな、文脈をゆさぶる少女でいたい。真夜中の雨あがりの信号機のように、規則的意味を失い、ただ鮮やかで美しい、そういう景色を見ながら遊んでいたい。



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