堺に仁徳天皇陵がある理由の考察
2019年5月25日
NHKの『ブラタモリ』は堺市の特集でした。
テレビをつけたところ、ちょうど行ってきたばかりの仁徳天皇陵について解説していました。
仁徳天皇陵は、
・国力を海外に示すために海から見えるように堺に作られたこと
・海から大きく見えるように、長辺が海岸線と平行になっていること
を知りました。
なるほど!と感心したのですが、「でも、どうして堺なの?」という疑問が生じました。堺が接しているのは大阪湾なので、他国へ国力を示す場所としては少し違和感があります。太平洋に接している場所の方が適しているはずです。
古墳時代に最も栄えていた場所は奈良なので、奈良を基準に何か理由がありそうだと思いました。
検索したのですが、答えが見つかりませんでした。
仁徳天皇陵に行った時にもらってきた大阪府作成のパンフレットにも記載がなかったので、時代が古すぎて正確な情報がないのだと思います。
調べても分からないなら自分で考えるしかありません。
奈良は盆地なので、海に行くには山を越えなければなりません。
そこにヒントがありそうだと考えて、グーグルマップを眺めてみました。
私が大和朝廷の人間で、海に行くように命じられたら、どこを通るだろう?
最小労力で安全に楽に行けるルートはどこだろう?
見つけてしまいました。
奈良盆地には山が手薄な箇所がありました。
川があります。谷だと想定できます。
ここを使えば比較的楽に山を越えられそうです。
しかし川は蛇行しているので、海まで川を使うのは逆にリスクが高まります。時間もかかりますし、流れの変化によって座礁する可能性もありますし。
山を越えたところで陸路に切り替えた方が効率が良さそうです。
大和人になりきって地図を見ていると、気付いてしまいました。
川を下ってきて平野が見えるだろう位置から海まで直線を引いたところに、仁徳天皇陵があるのです。
こちら。
マーカーの場所が仁徳天皇陵です。
現在は埋め立てられていて海まで距離がありますが、古墳時代の海岸線は今より内陸にあって、仁徳天皇陵は海から見えるように海岸近くに造られたとのことです。
これを踏まえると。
川に沿って奈良盆地を抜けて、大阪の平野を陸路にて海に向かう最短距離に仁徳天皇陵があると考えて差し支えないように思います。
多少の誤差はあるでしょうが、この仮説は合ってるような気がします。仁徳天皇陵があの場所にある理由は、これで決定で良いのではないでしょうか?(๑•̀ㅂ•́)و✧
大発見した気分で大満足です。
これ以外に理由はないと思うの。もう私はこの理由で大満足です。
私が大和人なら、こうするし!!
以上、堺に仁徳天皇陵がある理由の考察(推理?)でした。
*正解を知っていたら教えて下さい。
*追記
当時の「外国」は中国や朝鮮半島なので、他国の使者の航路は瀬戸内海です。瀬戸内海を真っ直ぐ来ると大阪湾に着くので、太平洋より大阪湾の方が国力誇示に適していることに気付きました。(๑・ω-)テヘ