見出し画像

『スマホがあればセンターの問題解けるから学歴社会はクソ』という言説に思うこと

今年の夏頃にTwitterで見かけました。
堀江さんとひろゆきさんの対談の、ひろゆきさんの発言の一部を切り取って「だから学歴社会はクソ」で締めたツイートでした。

ひろゆきさんの発言は、オウム真理教には高学歴の信者が多かった、という話の流れからのものでした。

ひろゆきさんの発言
"例えば、高校3年生に「スマホを使っていい」という条件でセンター試験を受けさせたら高得点を取れちゃうわけです。つまり、高学歴だと思っている人の学力って「スマホがあれば済む」ぐらいのこと。テストの勉強ができたからって頭がいいわけでもないし、人間として優れてるわけでもない。それなのに「こんなにすごい俺が評価されないのはおかしい」とか、妙な思考になっちゃうんすよね。"
ツイート
"ひろゆき『 高校3年生に「スマホを使っていい」という条件でセンター試験を受けさせたら高得点を取れちゃうわけです。つまり、高学歴だと思っている人の学力って「スマホがあれば済む」ぐらいのこと。』 その通り。これだから学歴社会はクソ。"

ひろゆきさんの発言は、"テスト勉強ができたくらいで頭がいいと言えないし、人間として優れてるわけでもないのに「こんなにすごい俺が評価されないのはおかしい」と思うのは変だよ" が主題だと思います。
読解力はスマホでは得られないので勉強は必要ですね。という事実を証明するツイートでした。

ーーーーーーー
ひろゆきさんの発言ではなく、ツイートに焦点をあてて考察します。
ーーーーーーー

基礎知識の量は想像力に直結しています。想像力は創造につながります。学歴が高いということは知識の量が多いということです。

学歴社会を否定する風潮が根強いのは、社会の方が学力の高い人の優秀さを使いこなせていないからだと、私は考えています。

本来なら知識の量を競う必要はないかもしれません。ですが、自主的に勉強する子供は多くないので、子供に知識をつけさせるためのシステムとしては「いい大学に入ることを目標にする」のは、そんなに悪いことではないと思います。

問題は、教育の過程で個性を潰してしまうことです。

学力と個性を同時に伸ばせるシステムが構築されると最高なのですが、これは今後も考え続けたい課題です。なんとかしたい部分ですね。

「学歴社会はクソ」という風潮は、勉強したくない子供に逃げる口実を与えてしまうと思います。それは逆に子供の可能性を損なう恐れがあるので、危険を感じます。人生を楽しむための基礎知識の習得という、その貴重な機会を奪ってしまう。知識は多い方が人生が豊かになるのは間違いありません。

想像は知識の掛け合わせです。想像の土台は何らかの知識のはずです。

知らないことは想像も出来ないし、例え想像できたとしても答えは先人が見つけていることが多い。想像できなければ創造も難しくなります。

スマホを知らなければスマホで調べることも出来ないよね、という単純な話です。
そもそもスマホだって、スマホを創るための基礎知識を持っている人達が、想像して創造したものですよね。

勉強が得意なのも個性の1つです。「学歴至上主義」は本質を見逃してしまうので良くないと思いますが、学歴が高い人を貶めるのは変な話だと思います。

学歴社会を否定すると本物の学力の高い人を発掘できなくなるし、勉強から逃げる子供が増えて、社会全体の知性が衰退しまう。それはとても怖いことだと思います。