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自由研究の思い出

両親は花が好きでして、休日は家族で庭の花壇のお手入れを楽しみました。その影響か、私も子供の頃から花が大好きでした。

小2の夏休み。

自由研究に押し花で花の図鑑を作りたくて、花を摘んでは名前を調べ、押し花製作に勤しんでおりました。両親も協力的で、一人では行けない山や川に、花の採取に連れて行ってくれました。それはそれは幸せな日々でした。

そんな楽しい作業に夢中になっていると、兄から「自分の分も作って欲しい」と依頼を受けました。私は軽い気持ちでOKしました。その時は押し花とお出かけがとても楽しかったので、断る理由などなかったのです。

そろそろ図鑑の製作に取り掛かろうという頃、私は交わした覚えがない契約条項を兄が主張し始めました。

図鑑に使う花を、なぜか兄が先に選びます。1本しか採取できなかった私にとってレアな花も、兄が所有権を主張します。

気が付くと兄の図鑑と私の図鑑は、厚みはもちろんのこと、その濃度に大きな差が出ていました。

さすがにこれはないだろうと小2なりに抗議したところ、母親裁判官が仲裁に入ってくれて、少し取り戻すことができました。

しかしながら、濃度の差を埋めるまでは行きませんでした。

日常生活の中でことあるごとに兄から「嘘つき」と責められ続け、心が折れてしまったのです。

今思えば、兄の分も作るとは言ったけれど兄に良い方を渡すとは言ってないのですが、それを主張するには兄妹の力関係の壁は高すぎました。
なぜか最初から負けていますから。

その後、兄が提出した方が市のコンクールで金賞を獲得し、市役所に展示されるという私にとって大事件が発生しました。

すねて泣く私に両親は「あめチャンが獲った賞だ」と慰めてくれましたが、私の名前はどこにもありません。

家族で市役所の展示を見に出かけた際、知らない大人達が兄の図鑑を褒めてるのを見て「これ私の!!私の!!」と心の中で叫びましたが、誰かの耳に届くことはありませんでした。

そんなことをふと思い出しました。
自由研究は小2の押し花の記憶しかありません・・・