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『老害』に思うこと

私は年齢、性別、容姿で人を判断するのは愚かなことだと考えています。どれも生まれた時に決まっていて、自分では選べないことですから。
なので「老害」という言葉は好きではありません。これが前提です。

いつの時代も元気な若者はいて、そういう若者から見たら時代に合わせて変わろうしない年長者は鬱陶しく感じるし、年長者から見れば生意気な若者は不愉快なのだろうと思います。

だけど、いま老害と言われている人も、若い時は上の世代が作った価値観を壊してきたはず。人類はそれを繰り返しながら発展してきたはずです。
それが世代交代ということだと思います。

確かに時代ごとに「標準」は違うし、標準が違えば思考回路も違います。思考回路が違えば価値観も違います。世代間で分かり合える事柄が減ってしまうのは自然なことだと思います。

ただ、ご自身もそれを経験してきただろうに、同じことを自分がされたら不機嫌になるのは美しくないと思います。寝る間も惜しんで頑張っている若者を、応援するどころか攻撃して邪魔するなんてダサすぎて呆れます。

年長者というだけで敬意を払えというなら、その考えこそが老害そのもの。
老害という言葉は好きではないけれど、これからの時代を作る若者の邪魔をする大人は、老害としか言えないと思います。

人類の歴史を振り返ると、定期的に古い価値観に対して大きな革命がおきていますよね。現在は地球規模の無血革命に入ったと考えると、何歳でもこの過渡期を楽しめると思います。私は世界の変化を体感していることが楽しくてワクワクしています。

Googleマップです。
平面なのに球体の地球を動かせるなんて、子供の頃は考えたことがありませえんでした。球体で見るなら地球儀しかなくて、平面の地図ならメルカトル図法というのが、私にとっての「当たり前」でした。そういう当たり前がどんどん破壊されていて、面白い時代に生きていることを実感しています。

これを「時代が違うから」と楽しめないのは、もったいないと思います。楽しめないことも悲しいと思いますが、世界を変えようと研究をしている若者に敬意を持てないのは、とても悲しいことだと思いますね。

子ども叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの

私はこの言葉が大好きです。

世代が違う若者の気持ちを理解するのは難しくても、若い時の自分の気持ちを忘れなければ、老害なんて言われることなく友好的につきあえると思います。

年を重ねても柔軟さを失くさないためには、若い時の自分を忘れないでいることがポイントかもしれません。