米津玄師さん『Flamingo/TEENAGE RIOT』『Lemon』#米津玄師
【お断り】
↓↓ 米津玄師がジンだと気付く前に書いたものです ↓↓
『Flamingo』
MVを最初に観た時に米津さんの姿から感じたのは「見世物にされて、人に弄ばれて、投げやりに自暴自棄になっているけれど、最後の品性は失っていない娼婦」という印象でした。
もう少し足すと、「(家族に売られた等)自分の意思で娼婦になったのではないけど、自尊心を守るために運命を受け入れる覚悟をしている」とも感じます。
なので初見では、六本木ヒルズのヨウジヤマモトで展示された落合さんの作品と同じコンセプトかと思いました。私が受けた被害の可視化です。
先に観た『馬と鹿』のMVのコンセプトは私の被害だとハッキリ分かっていたので、同じテーマで表現を変えて2本作ったのかと思いました。私が気付くまで繰り返そうとしたと考えると筋は通るので。
ですが、『Flamingo』のyoutube公開の日を確認すると2018年10月20日でした。被害開始は2019年4月20日なので、『馬と鹿』のMV(2019年9月2日公開)や落合さんの作品とは別のものだと分かりました。
被害に関係ないとすると、この娼婦っぽさは何だろう?といろいろ考えて「もっと前から米津さんには私は娼婦のように見えていたのかもしれない」と納得することにしました。歌詞からは私を気にかけてくれていることが伝わってくるので、Twitterで活動を始めた当時からしつこく私にまとわりついていた中年男性達への揶揄や抗議のようなものかな、と。
この解釈でも筋が通ると思うのですが、タイトルの『Flamingo』の意味が分からないままだったので、米津さんが言いたいことを私は消化しきれてないと感じていました。
ずっと気になっていたので、折に触れてネットで米津さんの記事を検索してヒントを探していました。
結論から申し上げますと、ネットにヒントはありませんでした。
決定的なものを米津さんの出身地の徳島で見つけました。
これは運命的なものを感じます。
2018年の紅白で米津玄師さんが生中継で歌った『大塚国際美術館』です。
【美術館の展示解説】
古代ギリシャの高級娼婦フリュネは類まれな美しさで知られ、当時の彫刻家プラリシテレスの依頼で、ヴィーナス像のモデルをつとめた。しかし人間が神と美を競うこと自体が神に対する冒涜とされ、彼女は告発された。
画面はその裁判の様子を描いたもので、裸で立つフリュネ、左の青年は彼女の弁護士である。弁護士は彼女の美がいかに神々しいかを「実物」で納得させようと、彼女の衣を今まさに取り去ったところである。
この絵を観た時、自分の境遇と重なって「いつの時代も、自分の理解の範疇を越えたものを否定し批判し排除しようとする、賢いつもりの器の小さい人達がいるのだなぁ」と思いました。この時のフリュネの心情が分かるような気がします。
鑑賞後しばらく経っても深く心に残っていて、いつか本物が観たいと思うようになり、この絵について勉強することにしました。
その課程でフリュネのことを調べるためにwikiを見たところ…
…フラミンゴ…??
(。◕ω◕。)
「リルケ フラミンゴ」で検索してもGoogle先生は何も教えてくれません。
情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら教えて下さい!
私はTwitterでの活動は「地位も経済状況も関係なく、誰でも好きな時に好きなように見れるように」と考えています。これをよく『紙芝居』と表現しています。
プロジェクトメンバー経由で米津さんからお返事を頂きました!
ご縁がありすぎる(´;ω;`)
MVに感じた娼婦っぽさの意味を完全に理解しました。私が絵を観た瞬間に自分の境遇と重ねて感情移入したように、米津さんもフリュネと私が重なって見えたのだろうと思います。
さて、この発見を公開するように要請があったのですが…
やっと全てを言語化できたのでnoteに整理できました(о´∀`о)
テーマがフリュネと考えると、このシーンに込められている深い優しさがよく分かります。フリュネのことを知る前は娼婦を暗示するためのものと思っていましたが、これはフリュネを労わる米津さんの優しさでした。
『TEENAGE RIOT』
---
『Lemon』
(´;ω;`)
【余談1】
折に触れてヒントを探している最中に見つけた記事
【余談2】
【余談2】
‐‐‐
上記は租界のことを全く知らない時のツイートです。
↓↓ ジンが絵画をテーマに使った理由 ↓↓
ジンもラルクも「さすが!」としか言えない。すごすぎる。