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『ありのままの自分』ということ

「ありのままの自分を受け入れて欲しい」という言葉をよく見聞きします。
では「ありのままの自分」とはどんな自分を指すのでしょうか?

私が考えるそれは「原石」ではありません。

「ありのままの自分」というのは「石の種類」と考えています。

種類の分からない石の、磨かれてもいない原石を受け入れろというのは、傲慢だと思います。
もちろん、そういう石が好きな人もいるでしょうから、そこでマッチングすれば双方は幸せだと思いますが、数は少なそうですよね。

「ダイヤモンドの原石」という言葉もよく見聞きしますが、全員がダイヤモンドを目指す必要はないと考えています。

「石の種類」は「個性」と言い換えることが出来ます。

自分はガーネットかもしれないし、ルビーかもしれない。
大切なのは、自分の石の種類を見分けて、その極上品を目指すことだと思います。生まれたままの状態で誰かに掘り起こされるのを待つのではなく、自力で磨くことです。角をとったり、表面を研磨したり。

いつかガーネットやルビーを探している人に出会えた時に、安心して愛でてもらえるように。愛してもらうためには、愛されるに値するだけの準備をしておかなければ。

私が考える極上品は「私はガーネットだから、ダイヤモンドを求められても困るよ」と自信を持って言える状態です。


極上品であるために「操」が重要になってきます。自分の操を守るのは、相対的に自分が大切にしたい人を守ることになるからです。

例えば、私が頻繁にパートナー変えたり、浮気したりしていたら、いつかどこかで「私と体の関係を持った」というゲスい話をされることが簡単に予想できます。その話題は、私が大切にしたい人を傷つけると思うのです。
*話題自体の美しくなさを表現するため、あえて「ゲスい」という言葉を使いました。

愛する人を守るため、愛する人に恥をかかせないため、愛する人を傷つけないため。私は自分の操を守っています。

自分との関係でパートナーが嫌な思いをしないように気を配るのは、当然のことです。これが私の個性=ありのままの自分であり、私が考える「極上品」です。

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ハイド=ラルクのhyde、オザケン先輩=小沢健二さん、肇ちゃん=ラルクのyukihiro、慎=ラルクのtetsuya、ジン=米津玄師

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