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世界平和と嘲笑風潮

多くの人にとって世界は平和な方がいいはずだと思うのですが、それを口にすると嘲笑される風潮があります。最近ではZOZOTOWN(*執筆当時)の前澤社長、少し前に女優の綾瀬はるかさんが『世界平和』を考えていると発言し、「子供っぽい」「無邪気」といった反応を受けていました。私も何度も言われています。

私はこの風潮に強い違和感を持っています。

世界平和を子供っぽいと嘲笑する自称・大人達は、その言動に隠れた大切な部分を見落としていると感じます。

子供っぽいと嘲笑したくなるのは、『世界平和』は子供のものだと思っているからですよね。意識的か無意識かは分かりませんが。

子供のものだと思っているということは、自称・大人も子供の頃は『世界平和』という言葉が身近に存在したからですよね。

大人だって平和な方がいいと思っているだろうに、なぜそれをバカにして笑うのか、世界平和を純粋に願う気持ちを、なぜ失くしてしまったのか、真剣に考えなければならないと思います。

大人になる過程で『現実』を見ることを強制されたせいかもしれません。
高校時代の進路決定時に大人から言われる『現実』は、半径数メートル程度の小さいものですが、10代の子供には充分広く感じるものです。それを大人になってもアップデートしないまま、半径数メートルを現実と認識し、目の前に出来事に忙殺されてはいないでしょうか?

大人になると情報のアップデートは自分次第です。それは言い換えれば、触れる情報によって世界は無限に広がるということです。新しい価値観にたくさん触れて、視野狭窄から抜け出して欲しいと思います。
時間は有限なので、他者を哂っている時間がもったいない。

また、世界平和を子供っぽいと嘲笑することの矛盾にも気付いていないと思います。

実際に(戦争に限らず)争いが起きた時、子供は無関係ではいられません。巻き込まれる子供がいます。

平和を願う子供が、その心をなくした大人のせいで犠牲になる。
自分が子供の立場だったら、どう感じるでしょうか?
世界平和を哂う大人を尊敬できるでしょうか?

私は大人が日常的に平和を意識することは、子供を守ることに繋がると考えています。
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世界平和は主語が大きいので、実現不可能に感じるのは分かります。それでも、それを目標に掲げて言い続けなければならない。嘲笑した自称・大人に「本当にそれでいいの?」と問いかけるためです。

私が使う『世界平和』とういう言葉。
本質は「平和は身近なところから」です。

より多くの人が、隣人との軋轢を可能な限り避けながら、その人らしく楽しく過ごせたら、きっと世界は平和になると期待しています。