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『フェミニスト』に思うこと

私も分類されたらフェミニストになると自覚していますが、フェミニストというカテゴリに対しては中立です。そういうカテゴライズが不要なくらいに、男女平等は当たり前のことでしょ?というスタンスです。性別云々の前に「人間」ですから。

Twitterでフェミストとして活動している方々を拝見していると、対応する相手の思想と分かり合えずに、どんどん負の感情が凝縮している印象を受けます。それは逆も同じです。凝縮した負の感情のぶつかり合いを繰り返しながら、互いにその純度が高まっているような印象を受けます。

ところで、プロジェクトメンバーは男性が大多数です。これは社会の縮図だと考えています。社会全体を変えようと思ったら、女性の場合は「まずは女性の地位を上げなければならない」というハンデがあるのだと思います。社会での男女格差がこういうところにも出ているのだろうと。

私が「女性の地位を上げる」方面の活動をしないのは、男女平等は当然のことだからです。性別は個性のひとつであって、男女云々の前に人間なので「人としてどうか」を改善していけば、自然に男女の格差は消えるのではないかと考えています。

常に私自身が平等を実践しています。性差を受け入れながら、卑屈にならず奢らず。対等に「人」として相手を見ています。

私は自営業ですが、仕事をしていると年上の男性から露骨に見下されることがあります。男性が同行していたら先にそちらに挨拶されるなんて当たり前ですし、「代表が女性だからどんなものか不安だった。男性がいて良かった」と言われたこともあります。

当人に差別意識はなくても、「女性は能力が低い」という偏見を無意識に持っている男性は存在します。
若い頃は青色申告の書類を自分で作っただけで褒められたものです。税務署の年配の男性職員さんに「自分で作ったの?えらいね!」と、とても自然に褒められました。

でも30代より下の世代はフラットな印象です。私の性別なんて全く関係ないという感じで、とても付き合いやすい。

これは教育の問題だと思います。下の世代へのジェンダー教育はうまく行っていると感じます。

見下されても、私は怒らずに完璧な仕事をします。その方が長期的に女性への偏見を払拭できると考えているからです。実際に仕事を見せることで偏見を潰していけば、上の世代が作り上げた男女格差が無くなると信じています。下の世代はジェンダー教育による変化を感じるので、この件に関して私は割と楽観的です。

性別で能力を決め付けるのは「人としてどうか」と思うので、それを改善する。という感じです。

周りを見ていて感じますが、男性も結構セクハラ被害を受けていますよね。
女性への言動だったら大騒ぎになるようなことでも、男性が被害者だと咎められることは少ない。
男性も被害を受けていることを広めた方が、結果的に女性へのセクハラ対策も進むような気がします。

人間は平等なのが当然なのだから、男女に限らず全ての性が仲良くあってほしい。

私は本気で世界平和を願っています。主語が大きいという嘲笑なんか、どうでもいいです。平和が一番です。
「平和は身近なところから」です。私は常にそれを目指しています。

さて、「フェミニストはいつも怒っている」というイメージをお持ちの方も多いと思います。

「怒り」は防衛手段だと思っています。私自身はそうでした。怒りを感じた時にそれを丁寧に整理していくと、悲しさに行き着くことが多かった。分かってもらえなくて悲しいとか、構ってもらえなくて悲しいとか、思い通りに行かなくて悲しいとか。傲慢さの処理は別の話で、怒りの源は悲しさだと思います。

自分には何の落ち度も無いことに対しての怒りも、「どうしてこんな思いをしなければならないのか」という悲しさです。

男女の別なく、自分では選べない「性別」によって不当な扱いを受けるのは、とても悲しいことだと思います。

怒りは同じ経験をした人にしか共感されにくい。それは仕方のないことですが、怒りの真ん中にあるのは「悲しみ」だということを、互いに理解し合えたらいいと思います。

被害者の怒りの本質は悲しさです。思い出すと涙が出るほど悲しいのです。でも、こんなことで悲しくなりたくなくて、もしかしたら悲しすぎて、怒りに変わるのです。

怒っている人がいたら「どうして怒っているのか」より「何に悲しんでいるのか」を探った方が解決が早いと思います。

怒りに怒りで応じても何も解決しません。どちらかが、出来れば双方が、相手の悲しみの理由を理解すると、溝が埋まるのではないかと考えています。