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離れた場所の災害について

どこかで大きな災害が起きると、ネットでは「自粛」や「不謹慎」という言葉が飛び交います。

東日本大震災の時のその圧力は相当のものでした。当時に比べると最近はかなり落ち着いていますが、それでもまだ根強く残っているのを感じます。被災地の方から「自粛しないで」と呼びかけているのが現状ですし、普段通りのツイートが批難されたりしています。

離れていて自分の生活に何の影響もない場所での災害について、どんなに心が痛くても、それを言葉に出したところで状況は何も変わりません。
一般人の私がTwitterで「頑張れ」なんて言っても、「心配です」なんてツイートしても、全く無意味です。自己満足でしかないと考えています。

近しい関係の人か、ファンがいるような有名な人でない限り、被災地を応援するツイートに意味があるとは思えません。RT等で情報を共有するお手伝いなら分かりますが。

私は東北出身で、家族も友人も被災しています。兄の家は全壊、実家は半壊しました。

経験上、部外者のツイートは無力だと考えています。不謹慎という言葉で世の中を暗くして、そのうち被災者を責めるようになる風潮を避けたいと思っています。加えて、復興にはお金が一番必要ということも知っています。

東日本大震災の時、「自粛」「不謹慎」という言葉が被災地を傷つけました。被災者は楽しんではいけないというような圧力を、地元の人達は感じていました。

「無関係の自分達が自粛してるのに、被災地で愉快にしてるとは何事だ」という風潮になったこと、覚えている人もいると思います。ことあるごとに他者を「不謹慎」だと責めて、日本中の人が沈鬱にすることを強要したためです。

普段通りに暮らせる人が普段通りにしていないと、そのうち「自粛」や「不謹慎」という言葉は被災者に向けられて、被災者は被災者らしく振舞うことを強要されてしまいます。
自粛を強要される部外者が、被災者を責める構図ができる。東日本大震災の時に、そうなりました。

そんな同調圧力にどんな救いがあるのでしょうか?
当人が自粛するのは自由だと思いますが、それを他者にまで強要する目的はなんでしょう?他者を「不謹慎だ」と非難して何が得られますか?

そんなことよりも、被災された方々が生きていくには何が必要かを考えて、自分が出来ることを探して行動する方が有意義です。
被災者に寄り添うなら、言葉ではなく行動で。

被災地に何が必要かを冷静に考えたら、自分の感傷を他者に押し付けて非難することの無意味さが分かると思います。

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