ハラスメントと寛容・不寛容
これは受け手の視点しかないので、ハラスメント問題というよりも、寛容か不寛容か、という話だと思います。
「受ける側が不快=ハラスメント」というなら、そのつもりがない相手をハラスメントだと責めることもハラスメントになってしまいます。
された側は見つめられている、性的目線で見られていようで気持ち悪い、怖いと感じている
これは主観でしかありません。言われる人の方が傷つきます。「自称:被害者」が「本質的には加害者」だと思います。
*本当に性的な目で見られることもあるので、その区別は慎重にしなければなりませんが。セクハラ、パワハラは犯罪になりうることなので、全く質の違う話です。
セクハラ・パワハラとの区別は慎重にするという前提で。
顔つき、目つきは生まれ持ったものであって、本人にはどうすることも出来ません。それに対しての好き嫌いは当然あると思いますが、嫌いだからといってそれをハラスメントにするのは、絶対に間違っています。
それをハラスメントとして扱っていたら、回り回って自分も、いつか誰かへのハラスメント加害者になりえます。「好みの顔じゃないからハラスメントだ!」となってしまいますよね?極論ですが。
好きじゃない・嫌いという理由で他者を加害者扱いするのは、不寛容が過ぎると思います。受け手が不快なら全てハラスメントになる社会は、息苦しくて私は嫌です。
少し前にスメルハラスメントというものが出てきて、香りつきの柔軟剤が流行りました。私はあの人工的な香りがとても苦手なので、私にとっては柔軟剤を使ってる人の方が、スメルハラスメントの加害者になってしまいます。
自分の感情を基準に、なんでもかんでもハラスメント認定していたら、収拾がつかなくなります。
*繰り返しますが、セクハラ・パワハラとの区別は慎重にするという前提です。
自分の快・不快と他人の自由は別物だから、自分が不快だからといって他人の自由(犯罪は除く)を制限したり、攻撃したりするのは、心が狭すぎると思うのです。
大平さんのツイートの事例をハラスメントだと訴える人がいるとしたら、その人の方が加害者になっていると思います。
これは寛容であれば避けられるトラブルなので、ハラスメント問題ではなく、寛容・不寛容の問題だと考えました。
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「嫌よ嫌よも好きのうち」は現代では通じません。その女性像は古い時代のものだと思います。その言葉を免罪符にしてはダメです。
男女の別なく性的なことは『嫌といったら嫌』を徹底しないといけないと思います。
本当にNGだった時のダメージが甚大なので、本当はOKだった場合のことは考慮の必要がありません。
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「今、お尻を触っていい」という合意がなければ、好きな人でも嬉しくありません。
どんなに好きでも、片想いの状態で合意なく触られたら、相手を嫌いになる人の方が多いと思います。幻滅すると思います。
付き合ってても人前で触られたら怒ります。
セクハラについては、感情に軸をおいた関係性にばかり論点が行きがちですが、性的なことは合意とシチュエーションも重要だと思います。
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却下に合理的な理由があればハラスメントにはならないと思います。
「合理的」が論点になると思いますが、相手が納得できるか否かを基準にすれば解決すると思います。
以上、大平さんとハラスメント事例について話した時の記録でした。