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三四郎

人生に一番大きな影響を与えた本を訊かれたら、迷わず、夏目漱石の『三四郎』を挙げます。

ストーリーをごく簡単に説明すると「上京した東大生の青春物語」です。

田舎の中学生だった私にとって、東大は「ものすごくあたまのいいひとがいくところ」という、語彙力なくすレベルで遠い場所という認識でした。

その東大生が片想いして、モジモジして、翻弄されて、言い出せないまま失恋していました。何十年も前に。

東大に入るくらい頭が良くても恋愛に悩んで失恋することと、それが何十年も前の話だということに驚きました。

これがきっかけで、「人の悩みの本質は時代や能力に関係ないのでは?」という仮説のようなものをたてて、作家・時代を問わず文学作品を読むようになりました。

この視点で読むと、やはり悩みの本質は100年以上前でも変わっていませんでした。時代ごとの環境の変化はあっても、本質は自身の能力、恋愛、友情、家族、利害の対立のいずれかでした。

「いつの時代も、人は同じような事で悩んでるのだなぁ」と呆れました。どんなに偉そうにしていても、みんな似たようなものだと。

だけど思考を進めているうちに「いつの時代も似たような悩みがあるということは、私が今抱えてる悩みも、既に誰かが経験して乗り越えてるのでは?」と気付きました。

これからもたくさん本を読んでいれば、先人に助けてもらえるかもしれない。誰かが乗り越えてきた悩みなら、私も乗り越えられる。
それは、ちょっとした希望のように感じました。

それに気付いてからは「本を読むのが好き」とは言わなくなりました。読書は趣味ではなく、生活の一部に変わったのです。

三四郎を読む前は、本を読むのは空想世界に没入する行為でしたが、三四郎に出会ってからは、文学は現実の隣にあるもの、読書は先人の知恵を借りるものと考えるようになりました。