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三角関数不要論を否定します

私の経験から、橋下徹氏と高橋洋一氏との言説を否定します。

プロジェクトメンバーの家入一真さんの問いかけが発端でした。

これに対して私は

と答えました。

私は「思考の過程を省略して結論しか言わない」というクセがあるので、発言がすぐに理解されることが少なくて、この時も理由を説明しました。

皆さんの反応を探りながら説明したのですが、上手く伝わりません。

説明に苦心している時に、ある単語がひらめきました。

結果的にこの一言で、私の発言の真意が皆に伝わりました。

これは基礎教育の成果だと思います。皆が「微分」が何かを知っていたから出来たことです。

教科的には国語に属する場面で数学の用語が役に立ったという事実は、三角関数不要論を否定する根拠として、かなり有効だと思います。

全ての学問は、世界を構成する要素を細分化したものであって、世界で暮らしている以上は全ての人に絶対に何かの関わりがあるはずです。全て繋がっているはず。

三角関数を日常的に使用しない人でも、三角関数を使って製造された何かを利用してるはずです。
古文に普段は触れない人でも、古文の解読を元にした創作作品に触れたことはあるはずです。

どうして知識を習得する機会を減らそうとするのか、私には分かりません。

効率化を図ることだけが政治ではないと思います。
メディアもそうですが、他者を馬鹿にしすぎです。敬意が足りない。

教育は知識の共有という側面があります。分野ごとに理解の得手不得手があったとしても、例えば「この世界には三角関数というものがある」という知識は持っていた方が良いのは明白です。

私は数学の授業以来「微分の公式」を使用したことがありません。ですが今回は国語として有効活用できました。

日常的に使うか否かは、その人の人生の問題であって、提供する側が勝手に選別して取り上げて良い根拠にはなりません。

私のこの経験で「共通の知識の大切さ」をご理解いただき、浅薄な政治家や有識者、マスメディアによって「愚民」にされないように、学ぶことをやめないで欲しいと思います。