見出し画像

『恋愛工学』に思うこと

藤沢数希さんの著書『僕は愛を証明しようと思う』を読みました。藤沢さんが提唱している「恋愛工学」のバイブルです。

ストーリーは恋愛というより性交渉がゴールのゲームのように感じましたが、女性慣れしてない男性への指南書としては良いと思いました。

女性に慣れるためのテキストとしては有効だと思いますが、大切なのはその先ですね。

自信はつくかもしれませんが、その自信は独りよがりで自己中心的な可能性が高いと思われます。「性交渉がゴールの心理戦」を勝ち抜くテクニックへの自信であって、愛する女性と信頼関係が作れたわけではないので。

恋愛工学は、「非モテコミット」と言われる状態に陥りやすい人が、それを改善するためのものだと思います。

その「非モテコミット」というものは、女性への敬意や憧れが強すぎるのが原因ですよね。それが中和されたなら良いですが、テクニックに溺れて誠実さを損なってしまうと、幸せは遠退くのではないでしょうか?

恋愛の最終目標は、恋愛風のゲームを楽しめるようになることではなく、好きな女性と幸せになることですよね?

それなら恋愛工学は「幸せへの足がかり」と位置づけて、少し自信がついたら恋愛以外のことに打ち込んだ方が、魅力的な人になれると思います。
「女を落とすのはちょろい」なんて無意識に女性をバカにするようになる前に、卒業した方がいい。

非モテコミットに陥る要因は、女性への憧れが強すぎて神聖化してるとか、女性に慣れてなくて畏怖があるとか、好きな気持ちが大きすぎて相対的に卑屈になってしまうとか、本人の自信のなさ、余裕のなさとかいろいろ考えられますが、根底にある共通項は「一途な性格」だと思います。

一途に愛されることを嫌う人は少ないと思うので、一途という性質は悪いことではないはずです。
大切なのはバランスだと思います。非モテコミットに陥る人は、男女の対等な関係が分からなくてバランスが悪いのでしょう。

男女間の正常なバランスを知ることを目的にするなら、恋愛工学は男性側には非常に効果的だと思います。女性を神聖化したり、特別視する必要はないことを学べるでしょうし、自信もついて余裕も出てくるでしょうし。
女性に慣れるまでの間に、女性を踏み台・捨て駒にすることに罪悪感は持って頂きたいですが。

自分にとって心地好い男女間の感覚(距離感など)を掴んだら、その時点で恋愛工学は卒業して、別のことに打ち込んで自分の人生を豊かにした方がいいと思います。そうすれば一途さも魅力になっているはずです。本当に好きな女性に出会った時に、選んでもらえる確率が上がると思います。

卒業しないで行き過ぎると、自分の心地好さだけを追求することになって、女性も心を持った同じ人間だということを忘れてしまいそうで危険です。

互いに尊敬がなければ愛は育たないと思うので、誠実さをなくす前に恋愛工学は卒業しないと、いろいろ損なってしまって逆効果になりかねません。

恋愛工学は女性に慣れるためのテクニックとしては有効だと思いますが、恋愛風ゲームの攻略法と位置づけてしまうと最悪だと思います。

女性にとって最悪なのは当然ですが、男性にとっても最悪です。

「落とした女性の数を増やすことに熱中する」ということは、その数に自分の価値を見出していると言えます。数と価値が比例してると考えているから数を増やすのですよね。それは視点を変えると、その数が少なければ価値も低くなるということです。

「n人と性交渉した俺はすごい」という表明は「性交渉できない俺はすごくない」という表明と同義です。自分の価値を女性の数に委ねてるわけだから、もし女性という存在がいなくなったら自分の価値もなくなるということ。極論ですが。

テクニックを学んで、駆使して、セックスしてゴール。その一連のゲームの中心にいるのは男性ではなく女性です。それを勘違いしている人が多いと思います。

自分が中心にいて、女性を落としてるつもりでいるけれど、そもそもターゲットがいなければ成り立たないゲームなので、中心は女性のはずです。

これは「自分の価値基準を女性という存在に委ねている」と言えます。
自分の価値を見出すために女性をコントロールしてるつもりで、自分が女性という存在に振り回されている。私にはそう見えます。本能という視点では間違いではないのかもしれないけど。

女性を道具(踏み台・捨て駒・戦利品)として扱っている男性は魅力的かどうか、という視点も大事です。

自身の価値の高低の基準を他者に委ねた状態は、自分の人生を自分の足で生きていると言えるのでしょうか?女性を道具のように扱いながら女性に振り回されて、女性に見向きされなくなったら、どうなるのでしょう?その男性にどんな魅力が残っているのでしょうか?

そうなる前に恋愛工学を卒業して、人生を豊かにするための行動に切り替えた方が絶対いい。人間関係の本質を忘れて、女性を「獲得数を競うゲームのトロフィー」と考えていると幸せは遠いと思います。

目的と手段を取り違えては、すべてが台無しになってしまいます。

恋愛工学自体は効果的で即効性もある有効な手段だと思います。ですが、用法用量を間違えると、せっかくの魅力を損なう副作用があるので、自分で見極めることが重要だと思いました。

恋愛工学は賛否が極端ですが、頭ごなしに否定すべきではないと考えています。使い方次第で毒にも薬にもなるという感じ。

テクニックに騙される女性側の見る目のなさも無視できません。

恋愛工学には、自分がモテているように振舞うテクニックがあります。他にも相手がいるとチラつかせて焦すような。

なぜそれに引っ掛かってしまうのでしょうか?
もっと自分を大事にした方がいいと思います。

他にも相手がいるとチラつかせるような不誠実な人には、「二股するような人は嫌い!願い下げ!」で終らせましょう。

恋愛風ゲームの攻略法としての恋愛工学は、女性の立場では容認するのは難しいです。ですが、自分を大切にすることと、見る目を養うことに気を配れば、被害に遭わずにすみます。

ナンパ術として否定するだけでなく、恋愛工学が持つもうひとつの側面に着目すれば、「こういうことを学ばなければ女性との距離が分からない男性もいる」という新たな視点が出来ると思います。それは人生の糧になると思います。