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『14歳の私が好む人』が今も好き

私は40代ですが、今でも人を見る時は「中学の時に同じクラスにいたら仲良くなりたいか」という基準で判断しています。人を見る時の基準がこれなので、相手が有名か無名かは関係ありません。「14歳の私が好む人かどうか」だけです。

話は飛びます。
小学校3~4年生の時に、同じクラスに勉強があまり得意ではない男の子がいました。私はその子を何とも思っていませんでしたが、ある日、その子が「幼稚園の頃から"地蜘蛛"という蜘蛛が好きで、1人でずっと研究してる」ということを知りました。

私は"地蜘蛛"を知らなかったのと、宿題じゃないのに研究をしているということが上手く消化できなくて、その子の家に研究ノートを見せてもらうために遊びに行きました。

正確な数は忘れましたが、当時の私はノートの冊数に驚きました。軽い気持ちで見に来たことを申し訳なく思ったレベルです。
内容は蜘蛛の部位の拡大スケッチ、巣の形状のスケッチ、巣づくりの観察記録なんかが書いてあったと記憶しています。

私は当時、勉強は学校の成績のためにするもの(=大人に褒めてもらうためのもの)と思っていたので、成績に反映されないのに、宿題でもないのに、一人で勉強・調査・研究してることに衝撃を受けました。

成績なんか気にせずに好きなことに熱中してる同級生の姿に、「生き様」のようなものを見たのだと思います。

その日を境に、その子を見る目が強烈に変化した感覚はハッキリと覚えています。恋愛感情なんかじゃなく、人として尊敬の対象です。

これが「人を"見える部分"だけで判断するのは愚かなこと」と知った私の原体験です。

こういう経験を小学生の時にしているので、その後の成長と共に形成されていく、いわゆる「スクールカースト」に全く興味がありませんでした。

子供の頃の「スクールカースト」とやらを作り出すのは、ほとんどがコミュニケーション能力の有無によるものです。表面だけの話であって、人の本質は無視されています。冗談が上手なだけで上位に入り込めちゃうレベルの無意味さです。

そのことを小学生の時に知ったので、コミュニケーション能力が高いだけの人に興味が持てませんでした。コミュニケーションが苦手な相手なら、私が補えばいいだけですし。

本題に戻ります。

「中学の時に同じクラスにいたら仲良くなりたいか」を丁寧に説明しますと、

中学で同じクラスだと仮定して、教室や校内外で見かけたら、私の方から明るい気持ちでリスペクトを込めて「今(最近)なにしてるのー?どんなことを考えてるのー?」と話しかけたくなるかどうか。

この一点です。

*地蜘蛛の研究をしていた同級生は、後の2ちゃんねる創設者の西村博之でした。驚きましたが納得でもあります。

*14歳を基準にしている理由は下記noteをご覧ください。

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