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お金の価値の変化

世間には「お金は労働の対価」という考えが深く深く浸透していますね。なのでオンラインサロンとかクラファンを「胡散臭い」と感じるのだと思います。

考えみれば、私も最近まで同じでした。胡散臭いというか「仕組みがよく分からない」という感じ。

Twitterでの活動に対して頻繁にマネタイズの話を頂きましたが、皆さんからお金を払うと言われても、働いていないのに頂く理由がないと思っていました。
遊んで、好きなことを好きなように発言しているだけなのに、他人様の労働の対価である貴重なお金を頂くなんて、とんでもないことです!って。

断っても断っても定期的にマネタイズの話が出るのと、無料の方がいいはずなのにお金を受け取ってと言われるのが不思議でなりませんでした。

落合さんのデジタルネイチャーを拝読中に(趣旨は違うけれど)評価経済という言葉を見つけて、全てが納得できました。人は「価値あるものに対価を払いたい」という心理があるのですよね。無料では申し訳なくて居心地が悪くなる。

でも何に価値を見出すかは人によって違うので、オンラインサロンとかクラファンのリターンに価値を感じない人から見れば、対価が理解できなくて胡散臭く見えるのでしょうね。

「自分の労働の対価として手に入れたお金」は「相手にとっても労働の対価」でなければならない、という刷り込みがあるのだと思います。
私も自分でマネタイズについて真剣に考えるまでは、そう思い込んでいました。Twitterでの活動は「余暇の遊びの延長」だから「無償ボランティア」でいいと固辞してきたのは、その表れです。

自分事にならないと気付かないことはたくさんありますね。

私はもともと仕事と遊びの境界のない生活ですが、それでも「お金は労働の対価」と思い込んでいまいした。「仕事が遊びのようなもの」という感じで、遊びそのものに対価が支払われると思ってなかったというか。

なので、公私の区別がキッチリしている人は、もっとそういう認識が強いかもしれません。

世の中の価値観が変わり始めたことは分かっていても、その変わり始めた価値観の中に「お金」も含まれていることが浸透するには、もう少し時間がかかりそうですね。