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麻雀(その4)グダグダ

対面の常連は言った。「合コン行かないか?」と。
ちなみに同い年の常連仲間であることは知っていたが、これまで親しく話したことはなかった。

当時のミスチョイスはカード精算タイプの雀荘だったが、彼はいつもカゴにいっぱいのカードを貯めていた。そして黒のインテグラに乗っていた。同い年だったこともあり、すぐに仲良くなった。

合コンのメンバーは年の近い常連で構成された10人くらいだった。それからというものの、そのグループで毎週のように合コンをしていた。10人いるから、1人1回合コンを開けば10回できるという理論でまわしていた。毎週のように渋谷のカラオケのある居酒屋へ、彼のインテグラで通った。合コンの後は大抵、明大前に戻り、麻雀をするでもなくその日の反省会をするのであった。

(閑話休題。全然タイトルにある「麻雀」の話にならないので、麻雀の話を読みたい人はこの辺で読むことをやめることをおすすめします笑)

さて、ミスチョイスに話を戻そう。

ミスチョイスでは役満などをあがると片山先生のオリジナルテレカ(テレカ!)がもらえた。

また、月イチくらいで大会が開かれた。友達でチームを組んでチーム戦の大会だった。優勝チームは次の月の近代麻雀の広告枠で紹介された。日大の友達チームで一度だけ優勝した記憶がある。
(下は当時の写真。片山先生がまだ髪がありますね。。)

草野とPちゃん

そんなミスチョイスが楽し過ぎて、自分は大学の仲間とのセット麻雀から、いつの間にかフリー雀荘で遊ぶことが多くなっていた。

数年が過ぎ、店長のケンジンさんはもういなくなっていた。杉P(仮名)と(爆牌党に出てくる)カッパのマスターが店を仕切っていた。

ミスチョイスの成功を見て、街には点5のフリー雀荘も瞬く間にいろいろできた。しかし、ミスチョイス自体はそのうち、常連しかいないグダグダな雀荘になっていった。フリーで常連同士仲良くなってセットをしだしただろうか。常連がメンバーになり出したからだろうか。よくわからない東風戦が始まったからだろうか。常連には素晴らしく心地がよいが、新規はつらい雀荘になっていた。

そして、それを見かねた片山先生がついに店をたたむことをついに決断するのであった。

(誰かに怒られない限り続きます)

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