アートってなんだろうね、に答えを見つけた気がした

今年一年は私にとって美術・アートに興味を持つ一年となりました。
去年までは美術にはほとんど興味がなかったのですが、山田五郎さんのYouTubeをきっかけに、今年から美術館や展覧会に足を運ぶようになり、本や記事を読み、現代アートっぽいVRのワールドも作りました。

一年かけて、自分の中で「アートってなんだろう」「いいアートとはなんだろう」という問いにひとまずの答えを見つけたので、書き残して置きます。

アートってなんだろう?

この問いに対しては、マルセル・デュシャンの

"It's art if say so" 
(誰かがアートだと言えばアートだ)

で全く過不足ない答えになると思います。
つまり1人の人間がアートと言えば、それはアートになりうる。たとえ自然物であっても、誰かがアートと認めた瞬間にある種の人工物(artifact)となってしまうのでしょう。"art"は元々は人の手を介するもの全般を指していたようですから、人が作ったもののみならず、人の知覚や認識に入ったものすべてがアートになる可能性があるのかなと考えています。

良いアートってなんだろう?

デュシャンの定義によれば万物がアートになりえますが、すべてが良いアートになり得るかというとそれは違うでしょう。

では一体、良いアートとはなんでしょうね。

技術的に優れていること、美しいこと、感動できることと、優れたアートであることは等しくありません。現代アートは粗雑に見える作品に溢れています。古典的な作品であっても、技術的に拙いもの、現代の美的感覚では美しいとは思えないものに溢れています。面白いとは思うが、それは感動とは違う感情であるという作品もたくさんあります。
アートと言われるものは非常に広範にわたりますが、それらに共通する「良さ」の答えは以下の通りなのかなと考えています。

どれだけ想像を広げられるか

ずっと見ていられる美しい絵画も、一見わけがわからない現代アートも、どれだけ鑑賞者に想像をもたらすことができるのかが肝要なのではと思います。
その場の風景を再現させる写実的な絵画、心象風景を切り取ったような印象派の絵画、視点を過度に切り替えるキュビズムの絵画、単色ベタ塗りの抽象絵画。絵として見てしまえばそれまでですが、鑑賞者の想像を喚起することで、例えば音や匂いや温度や風、感覚や感情そのもの、現実の捉え方を変革する認識の伝達、色や光そのものへの考察など、絵に描かれていない物事や概念を伝えることができます。そのように鑑賞者の想像の糸口となるのがアートの役割であり、その想像の間口や奥行きが大きいほど「良い」アートたりえるのかなと思います。
一見わけがわからない現代アートも、知的ゲームの一環として、その想像のネタをもたらすアイテムとして理解すれば良いはずでしょう。

どれだけ自然を感じるか

蛇足ではありますが、もう一点、「自然」を感じられるものが「良い」アートなのではないかなと考えています。ここでいう自然=Natureというのは、単に人工物との対称としての動植物や空や大地だけではなく、人間の本性や本来的な姿を含みます。
風景画や静物といった自然を直接描いた作品はもちろんですが、人物画や群衆画のなかにも、描かれた人の姿かたち、あるいは幾何学的な構図の構成によって自然を感じることができます。あるいは作為を排して偶然に任せる現代アートや、柳宗悦が美を見出した(その当時としては)大量生産された茶器も、人間の無意識や偶然という自然を感じさせるために評価されているのでしょう。
素朴派のようなおよそ技巧に優れていない作品も、かえってその作者の心的風景や感覚を感じ取ることができる、つまりその人の本性に触れることができるために評価されているのだと思います。古典時代の原始的な宗教の物品は人間の根源的な思想を伝えます。
人の手の介在しない動植物や地理気候、あるいは超然と佇む幾何学的な美しさ、あるいは微妙なゆらぎや偶然、あるいは人の手が触れ得ない人そのものの奥底の本性。それらを感じる装置としてアートがあるのだと思います。

最後に

大言壮語を並べたのにオチが書けないので、締めとかもなく終わります。
この一年でアートが何か、良いアートが何かという問いに自分なりの答えを見つけられたことがいちばんの収穫でしょう。アートの楽しみ方が解るようになったので、しばらくは飽きもせず絶望せずに生きていけるかなと。
ではでは。


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