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まっすぐ 光の元へ還った母

 インナーチャイルドのちっこいちゃんとしっかり抱き合い、レムリアの愛と光と叡智に包まれた母は、3年と少し浦安にいて次は姉の近くの都内の介護施設に移りました。

 私との浄化の時間が終わり、次は姉の番なんだな と思いました。
姉を誰よりも信頼していた母でしたが、姉の想いは少し違っていたようです。

 それでも私以上に母を大切にしていました。
そして2017年12月24日 母は静かに息を引き取りました。
その日は 施設のクリスマスパーティーで、姉も一緒に楽しんだそうです。
そして 姉が帰り着いてしばらくしたとき、訃報が入りました。

 すぐに私にも知らせてくれて、すぐに出かけることにしました。
心の準備は出来ていたのに、この日を何度もシュミレーションしていたのに、葬儀社に勤め何度もご葬家の方を見てきていたのに・・・

 しばらくは うろうろと部屋を歩き回っていました。

暮れの繁忙期・・・
結局 28日に家族葬という形で お坊さんも呼ばず、戒名もつけず お別れをしました。

 その後は 海洋葬をお願いし、3月4日 東京湾で散骨しました。

葬儀社に勤め、大日如来さまはじめいろいろな方々に話を聴いていたので、自然にこの形になりました。

 もっとも 遡ること9年、母をグループホームにお願いした後亡くなっていた弟の葬儀が友人葬で戒名もなし ということだったので、無理がなかったのも事実です。


母が亡くなった後、私は母がどこにいるか きいてみました。

 たくさんのしがらみを抱えていた人 というイメージだったので、まだ光の元へは還っていないだろう というのが私の想いでした。

けれど、母は光のもとに居て 無邪気に笑っていました。

 ここはね 何にもなくてさ 殺風景なところだな と思っていたのよ
それでね おなかが空いたから あんぱんを食べたいな と思ったの
そうしたら びっくりしたよ

あんぱんが出てきたんだ

それでね、お茶も欲しい って思ったら、お茶も出てきたのよ
そうしたら 面白くなってさ^^

あれも これも って思ったら、何でも出てくるんだよ~
凄いところだよ

母は陽気に話してくれました。

でも 何もないじゃない 

見渡しても ただ真っ白な場所なので、そう言ってみると、

そうなんだよ
何でも出てくる ってわかったら、何にも要らない って思ったんだよ

そう言って また笑っていました。

光の元が 真っ白な何もない世界だということは教えられていました。
お友達ができるわけではなく、ほとんど誰とも会いません。

もしも誰かとすれ違うことがあったとしても、お互いに静かに会釈をして そして離れていきます。
光の元 とはそういうところ・・・

それが 母によってもっと面白いところだとわかりました。

私たちの様子をみることもできます。
望むことは何でも叶えられる それが光の元。

それでも 何でも望むまま であれば、そばに置いておく必要がないので 手元には何も置いていない

 物欲がない というのは、そういうことなのかもしれない と思いました。


その後2週間ほど経ったころ、また母に声を掛けました。

 現れた母は 裾を引く白いゆるやかなドレスのようなものを着て すっと立っていました。そして 冷たい声で言いました。

 もう私を呼び出さないでください
あなたには わかっているでしょ

それだけ言うと、さっさと立ち去りました。

何度も光の元へと還ってきていて、だんだんと光の元でやることにも慣れている そんな風に感じました。

安心しなさい

そういう声が聞こえた後、私は母を呼び出すことはしていません。


先日 ご両親のご供養を依頼された方がありました。
そこで 新たに 光の元での考え方 と言いますか、様子を教えてもらいました。

その話は いずれまた・・・


ありがとうございます(^人^)

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