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第112回 別巻・定省の運命(さだみのさだめ)① 『奇跡的に天皇になった話』

定省は光孝天皇の第7皇子から臣下に下り、「源」姓を名乗っていました。

臣下である以上、天皇になる可能性は消滅しています。 しかし『宇多天皇日記(寛平御記)』によると、鴨明神(下・上賀茂神社の神様)が現れて「あなたは天皇になる。その時は今の年1回のお祭りを2回に増やしてくれ」という宣託を受けたそうです。

そうして年1回の祭(葵祭:京都三大祭のひとつ)に追加されたのが秋の賀茂臨時祭です(現在は廃止)。


・・・神様の宣託説はさておき、実際のところ定省はどうやって臣下から天皇になれたのでしょうか。

これは定省の養母・藤原淑子(しゅくし/よしこ)の強力なパワーによるものでした。

当時の慣習に従い、定省は8歳ぐらいまで養母に育てられました。その養母が、最高権力者・藤原基経の妹であった藤原淑子です。藤原淑子は子供がいなかったこともあって、定省を自分の子供のようにかわいがったようです。

陽成天皇を廃した兄・藤原基経は、ここでなぜか老齢の光孝天皇(定省の父)を立てます。

その背後に・・・藤原淑子の影が。

淑子はこの時、かわいい定省チャンを天皇に押し上げる計画を胸に秘め、兄基経に老齢の光孝帝を推したのかも…。

のち、宇多帝の後継者、つまり皇太子を決める秘密会の時にも藤原淑子は史実に登場します。

ふだんは歴史の表舞台には出てこないのですが、最高権力者を決める場面では必ず姿を見せているのです。

私個人的には、道真物語の時代、つまり宇多-醍醐の時代で最強の人物は基経でも宇多帝でも時平でもなく、藤原淑子だったと考えています。
(いや、私の知識が浅いだけで、この時代の歴史に詳しい人なら常識なのかもしれません。だって、道真の文書にそう書かれていますから…。)

淑子を中心に見ていくと、道真ストーリーのほとんどの謎がスッキリ理解できる気がします。

この時代、女性は男性ほど頻繁に史実に登場しません。しかし道真史を調べると、当時の宮廷では「藤原淑子が実力No1」が当たり前だったようです。(後世の私たちが史実だけ見ていてもその雰囲気はよくわかりません)。

だいたい…戦う男性の背後には必ずといっていいほど操る女性がいます…よね(笑)。あれです。


私はマンガを描くために道真中心に史実を調べています。そして宇多-醍醐時代の政治を調べていくと、頂点に藤原淑子がいて、その下で男どもが「小競り合い」をしている…そんな構図に見えてきます。

道真の左遷という大事件も、そんな大きな政争の中の「小競り合いのひとつ」にすぎない…そんなふうにすら思えてきます。

藤原淑子が恐ろしいほど用意周到に、カワイイ定省チャンを天皇にもっていくストーリーは…ドラマ になりそうです。 この話はまだまだあるので、またいずれ…。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

マンガを描くなら現場に行け!の法則(?)で、京都は大豊(おおとよ)神社へ。

哲学の道の途中にある超観光スポット。

宇多天皇が幼少の頃、養母・藤原淑子に育てられた場所です。

邸宅はのち円成寺(えんじょうじ)というお寺になりますが、現在は寺の痕跡もなく、鎮守の神社だけが残ります。



これこれ、この雰囲気です!

このあたりのどこに藤原淑子の山荘があったのかわかりませんが、事前にイメージしていた雰囲気とぴったり!

宇多天皇は7,8歳の頃から比叡山に登って仏教の修行をしていたそうですが(日記より)、自宅をお寺にするほど信仰心の強かった淑子の影響でしょうね、きっと。

祭神に道真サンも鎮座しています。

山の「気」がおだやかに上から降りそそいでくるような、なんともいえない場所でした。

南禅寺から哲学の道を通り銀閣寺まで。8割外国人で賑わう観光スポットから少しそれたところにある静かな神社です。

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