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第109回 滝口武者(たきぐちのむしゃ) の巻

宇宙人・宇多天皇、宮廷内に弓隊を新設します。

護衛のためとはいえ、武装兵を天皇の住居近くに置くなんて、万一謀反が起きたら超危険、常識外れです。

しかし宇多帝は弓隊の人材を厳選し、官位も六位まで高めました。五位からが「貴族」と呼ばれますから、そのひとつ下です。そして管轄を大臣や大将ではなく、自分直属の蔵人(くろうど)としました。なるほど!

弓隊は、天皇が住む清涼殿近くにある「滝口」と呼ばれる渡り廊下を詰所にしたことから「滝口武者(たきぐちのむしゃ)」と呼ばれました。 時代は少しあとになりますが平将門も滝口武者です。

当時は「穢(ケガ)れ」という考え方が強くあり(汚れとは別です)、武士は殺人を職業とする「ケガレた人」とされて地位は低く、貴族から見下されていました。

平清盛あたりの時代から武士の地位はぐんぐん上がりますが、武士の地位か上がるきっかけは宇多天皇が最初だと考えられます(地味にすごい!)。

しかし、なぜわざわざ武士を宮廷に置いたのか? 治安悪化以上のワケがありそうです。

最大の理由は「天皇の権威を高めるため」と推測できます。

宇多天皇といえば歴史的にも「親政バリバリ・権力を行使した天皇」のイメージが強いですが、実はこんな小さな努力の積み重ねによるもの。即位当初は権威ボロボロからの出発でした(この話はまたいずれ)。

しかし「天皇の権威を高めるため」は理由としては少し抽象的です。 具体的に何に対して威嚇していたのか。莫大な費用のかかる武装兵を「権威」という抽象的なもののためだけに整備するのも変…。

そこで考えられる要因は・・・
陽成上皇(宇多天皇の2代前の天皇)が原因だった可能性です。

当時、陽成上皇の一派は素行が悪く、あちこちの邸宅に乱入して暴れまわっていたと記録にあります(真偽のほどはハッキリしません)。

しかし、宇多天皇は十代の頃、当時天皇だった陽成の侍従(召使い)をしていた過去があり、上皇にはまったく頭が上がらず抑えがきかなかったようなのです。

宮廷内を自由に暴れまわる勢力が存在した。宮廷を武力で守る必要に迫られ、飛び道具を操る弓隊を設置した。そんな推測も急にリアルに感じられます。


ちなみに、菅原道真が弓の名人というのは天神縁起に見られる伝説によるもので(右大将だったから?)、実際に弓を操った事実は…見当たらないようです。


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