黄金のレガシー 感想

 黄金のレガシーは親と子の物語だった。

 まず最初に、私は黄金のレガシー、めちゃくちゃ楽しかった。楽しかったです。
 何度も泣きました。ボロボロです。

 あの暁月のフィナーレの後に、6.5の後に、大型パッチでこれを出してくれるなら今後も心配ないな、と思いました。
 漆黒~暁月はそれまでの冒険が全部上乗せでのって来てるし、それを取り除いた評価は出来ないので……って考えると、単品で見るなら一番好きだったかも知れません。

 見知らぬ土地を、世界の命運を背負わず、色んな文化に触れ合いながら、新しくなったグラフィックと共に駆け抜ける楽しさ。
 蒼天でエスティニアン、イゼル、アルフィノといっしょに旅をしてた時が、FF14の中でも一番「ファイナルファンタジー」してて好きだったんですけど、その感じを思い出したような、もっとはしゃいでたような、そんな気がする。

 シナリオと関係ない部分で良かったところは、宿が貸し切りの海が見えるコテージな所ですね。
 あそこでくつろいでミラプリいじるだけで楽しい、旅行気分。
 

 以下プレイ内容に触れる部分。

◆ウクラマトと黄金のレガシー。
 前述の通り私はもうめっちゃ最高でめっちゃ好きでめっちゃ面白かったんですけど、評価は分かれそうな気がします。
 なんでかっていうと、ウクラマトを好きになれなかったらほとんどのシナリオが茶番に見える! ていうリスキーな構成をしているから。

 紅蓮のリベレーターのリベンジというか、リセで出来なかったこと……というか、あの時やりたかったことを、
 今度こそウクラマトでやってやろうという部分はゼロじゃなかったように思います。

 中盤までは次代の王を、トライヨラという国を回って、継承の儀を通じて選ぶぞ、って話なんですけど。
 王に必要なのはなにか、何で試練はこういう形を取っているのか、バラエティ豊かな試練の意味は? 何でこんなことをするのか。
 それは色んな民が住まう彼らの文化を学び、民の姿を知り、この国に生きる彼らの姿を知る事ほど、王に必要なんだよ、っていう。
 滅茶苦茶王道のテンプレートで、作中でもサクッと「選ぶためじゃなくて磨くためのものだ」って明言される。

 だから「能力や知識で最適解を取っていく他の候補者達は試練の本質を理解してないな」っていうのがプレイヤーには一発でわかるし、
 光の戦士は「試練を正しく進めてるけど、実力がまだ足りないウクラマトの成長」を見守りながら時に支え時に助けていくことになるわけだけど、
 何かを学び、何かを知って、変化していくのはウクラマトであり、作劇的には「ウクラマトをプレイヤーに好きになってもらうパート」に全体の6割ぐらいを使っている。

 ここまでウクラマトを中心にリソースを注ぎ込んでる以上、ウクラマトに対して感情移入とは言わずとも、成長を見守るヒカセン視点になれなかったら、7.0の黄金体験はできない仕様になっている。

 私は、実父が無事に解放された時、戸惑いじゃなくてまず笑顔を浮かべたところでウクラマトを好きになりました。

 彼女にとって、家族って「血の繋がりがなくてもなれるもの」なんですよね。
 
 自分の実力や、足りないもの、何を受け継いでいるのか……とかそういうことはには悩んでいたけど、
 「自分がグルージャジャの子どもとして相応しくないのではないか」とは一度も悩まなかった。
 ここ、さり気なくすげー大事なポイントだと思うんですよ。義父義子でありながら、その親子関係に関しては一点の曇りもなかった。
 誇れる父、可愛い娘。愛情を受け入れる器をしっかり育ててもらって、なみなみと注がされていたからこそ、彼女はトライヨラのみんなを心から「家族」と呼べる武王になれた。

 ウクラマトの前には色んな人が出てきた。
 自分を大事にしてくれる人、侮っている人、品定めしている人、期待してくれる人、期待してなかった人。
 知ることで和解できた人、知ることで受け入れられた人、知ったからこそ対立した人、知ることが出来なかった人。

 ナミーカとの別れのシーン、一、二を争うぐらい好きかも知れない。
 「生前の最高の姿」になれるあの世界で、貴女と出会い、育てた事を誇ってくれる乳母の存在は、間違いなくウクラマトの人格形成に一役買ってる。

 黄金のレガシーのテーマの一つには間違いなく「相手を知ること、理解すること」があるので、それを体現し、一貫していたウクラマトを、私は胸を張って好きなキャラだと言えます。
 でも後半の行動完全に異聞帯を償却する時のマシュだったので心がつらすぎるよ。
 こんな素晴らしい世界を……私達はこれから……

◆コーマ兄さん
 随所から漂うシスコン。好き。
 石版を自分でぶっ飛ばして妹が王になることを認めた上で支えようとしてくれるその姿に惚れない奴は居ないだろ。
 こいつを通してサンクレッドとウリエンジェがいい空気吸ってるのも好き。

 ずっと「あーーーーんコーマ兄さんかっこいい」って夢女になってた気がする。

 トライヨラは武王と理王が治める国なのでコーマ兄さんが理王な。
 それは……そうなんですが……。

◆バクージャジャ
 うわあ! 急にいいヤツになるな!
 途中の悪党ムーブはいくら何でもごまかしきれないだろ!
 もうちょっと尺とっても良かったとは思うけどこいつに尺とってもという部分もわかる。
 ウクラマトが「相手が誰であろうと知るところから」という事を学ぶ為のキャラだったとも言える。
 こいつのことゾラージャはどう思ってたんだろうなあって考えると興奮しますね。

◆グルージャジャとゾラージャ

 私がプレイしてて一番気になった点。
 グルージャジャは強き武士であり、良き王、良き父として描かれているんだけど、「子供達と会話しているシーン」とか「子供達のことを語っているシーン」が極端に少ない。
 それこそヒカセンにウクラマトのことを頼むぞ、と言ったぐらいで、彼がそれぞれの子供達をどう評価していてどう考えているか、はほとんど描写されてないんですよね。

 もちろん、出てる描写から養子であるコーマとウクラマトを別け隔てなく愛情を注いで育ててることはわかるし、慕われてるのもわかるんだけど、
 それにしちゃもうちょっと情報量があってもよくない? ってぐらいには絡まない。たぶんヒカセンの観測範囲だと子供達よりエスティニアンと会話してるシーンのほうが長い。

 「お前は誇るべき俺の息子だ」って一言があったら、違う未来があったのかも知れない。
 いや、もしかしたら作外では言っていたのかも知れなくて、それが余計ゾラージャを追い詰めたのかも知れないけど。

 そしてゾラージャ。
 強いことはわかるが、言動や行動に一貫性がない。
 今んとこそこそこ平和な世界に武を以て侵略して真の平和を、とか変なこと言ってるし、
 ガレマルドは愚かだった……とかまあ愚かだったんだけど作られた愚かだし、まあ置いといて。

 最初は私、「我欲のあるゼノスかな」と思ったんですよ。最悪じゃないですか、我欲のあるゼノス。
 力があって、理想が定まっていて、それに突き進む奴なのか? と思った、そうじゃなかった。

 プレイヤー視点でも、ゾラージャは「何考えてるのかわからない奴」として描写され続けていた。
 目的も信念も行動もふわふわしていて、衝動的だが行き当たりばったりで、かといって強さのみを追い求めてるわけでもない。

 偉大なる王、グルージャジャ。
 父親へのコンプレックスがゾラージャを突き動かす全てだった。

 「ゾラージャ、トライヨラの国民に刃を向け、父を殺し、かと思えば今度は自国の民まで大虐殺。お前は一体何がしたいんだ」

 その答えがゾラージャ討滅戦の後半。
 奇跡の子でありながら双頭ではなく、全盛期の彼に、己が一番誇れる武では及ばない。
 こじらせにこじらせ、数多の命を奪い、自分の存在すらぐちゃぐちゃにして、ついに手に入れたあの姿。

 片方が欠落した双頭。
 あれを見た瞬間、全てのプレイヤーが理解するんですよね。
 「こいつ、父親に追いつきたかったんだ」って。
 それが認められたかったなのか、「奇跡の子」というプレッシャーを振り払うためだったのか、どっちでもあった気がする。

 あの姿がプレイヤーに与える衝撃を最大値にするために、ゾラージャは「解像度が低い状態」でなくてはいけなかった。
 だから、グルージャジャは(少なくともプレイヤーから見えるところでは)子供達への言及をしてこないような作劇になっていた、んだと私は思う。

 ゾラージャはグルージャジャに近づくために何でもした。
 不意打ちして秘石を奪い、部下を殺し、鏡像世界で腕力一本で王となり、
 グルージャジャは父親だから、自分も子供も作ってみせた、それでもまだ足りない、見つからない。

 もうね、「こいつが双頭じゃないのこじらせてたら滅茶苦茶おもろいな」とか最初の方思ってたんですよ。
 思ってたら想像の五百倍ぐらいこじらせてた。あんな醜いコンプレックスの発露あるかよ。

 異邦の詩人が言ってた通り、ゾラージャは全盛期でもないし片割れすら失った、老いたグルージャジャに一度敗北した上で、
 魂の供給があってやっと反則勝ちしてしまった時点で、彼のコンプレックスは未来永劫、一生拭えないものになってしまった。

 「どんな相手でも、まずは知るところから」という黄金のレガシーのテーマからしてみれば、
 ゾラージャは「知られることのなかった、理解できなかった存在の象徴」としての役割があったんだと思う。

 逆に、ゾラージャと理解してわかりあえるような展開だったら、グルージャジャの死は変わらなくても、もっと父から見た子供の姿が描写されてた気がする。

 あと、グルージャの存在はもう、かなりすごかったよね。
 「え!? お前子供なんて作るの!? なんで!?」っていう行動の不可解さも「こいつなに考えてるかわかんない」に一役買ってた気がする。
 お前が肉欲に溺れ無責任な中出しをしたことも自体を悪化させた要因のひとつなのではないのか、ゾラージャよ。
 相手は誰だったんだろう、取り込まれたエリアの中に都合よく青い鱗の雌がいたんだろうか……。

 ここまでの分量でわかるとおり私は一番ゾラージャが好きだったかも知れない。
 なんていうか、私はこじらせた親子関係が大好きなので。

◆クルル
 今回のヒロイン。
 事あるごとに言っていた、「バルデシオン委員会として」という枕詞が、私はずーっと気になっていた。
 クルルはあくまで「個人的な願望もあるけれど、でも立場をちゃんと守って」というスタンスでいた。
 自分にはおじいちゃんがいるから、と言っていたし、それは嘘ではなかったはず。

 それでも。
 それでも。
 リビングメモリーで、両親に会った瞬間。

 声を震わせて、涙をにじませて、私はあなた達の娘ですと口走った瞬間。

 私はボロボロ泣いた、こういうの、こういうの耐えられないので、やめてほしい。
 
 クルルに対しては初登場からこっちずっと「大人の女」を感じていたので、そういう意味でもギャップが凄い。
 「世界を超える力」は黄金のレガシーから始まる第三期FF14のクソデカテーマの一つになりそうなので、8.0以降もバシバシ活躍してほしい。

◆エレンヴィル
 今回のイケメン。
 お前の二人旅になった瞬間、俺の中の乙女が騒いじゃった。
 ごめん、違うのアルフィノ、これは浮気じゃないの……!

 暁月からずーーーーーっと斜に構えててさ。
 でも光の戦士のことは滅茶苦茶信頼しててさ。
 「あんた、こいつを誰だと思ってるんだ?」って態度を取られるたびに嬉しくなっちゃってさ。

 母親に認められたい、証明したい、褒められたいって顔に書いてあるのに素直に言えなくてさ。
 心配で心配で仕方ないって節々の態度に出ててさ。
 迫ってくる別れに素直になれなくてさ。
 それを最後の最後でさ、あんな風にさ。
 言われたらさ。
 好きになるだろうが……………………!!!!
 私と一緒に旅をしよう、エレンヴィル、色んな未知を探しに行こう!

 ち、違うのアルフィノ、これは浮気じゃないの……!」

 私事で申し訳ありませんが「人繭のセリセリセ」をご覧に頂いたらわかると思いますが私カフキワさんみたいなきっぷの良い母親、大好きでございます。

◆暁の面々
 クルルとエレンヴィルががんばった分、ちょっと添え物感が強かったけど、お前ら今回はゆっくり休んでくれ……という気持ちもあったので良しとする。
 ラハとシュトラは出番ないのかー残念だなーと思ったら最後にラハががっつりきたね。
 ゴンドラでのやり取りで滅茶苦茶しんみりしてしまった。

◆スフェーン
 今回のヒロイン…………ではない。
 「対話できた、相手を知ることが出来た。でも相容れなかったが故に、戦うしか無かった存在」。

 永遠を生きる彼らのために、愛する者たちを失わせないために、数多の命を犠牲にしてでもやり遂げて見せる。

 今回の主人公がウクラマトだったとするなら、彼女の役割は光の戦士で言うところのエメトセルクだった。
 漆黒のヴィランズ~ホワイトリリー~というサブタイトルを付けてもいいかも知れない、つけるな。

 身体が死んでしまっても、存在が記憶にある限り、死んだことにはならない。
 漆黒でエメトセルクに言われたことを、嫌でも思い出す。

 つまり前半は紅蓮のリベレーターのリベンジで、後半は漆黒のヴィランズのオマージュだったんじゃないかな、という個人的な感想。
 リビングメモリーもかなり最悪なアーモロートって感じだったし。

 黄金のレガシーは、文化と多様性の物語であり、親と子の物語であり、歴史と人々の物語であり、親と子の物語であり、理解と共存の物語であり、親と子の物語だった。

 偉大な義父の背中を見ていた継承者達三人はもちろんなんですけど、
 実父の存在を受け入れ、義母を誇り、武王となったウクラマト。
 偉大な父の背中を追いかける方法がわからなくて、道を誤ったゾラージャ。
 そのゾラージャと、家族になりたかったグルージャ。
 一族の期待を背負って父の期待をかけられていたバクージャジャ。
 生みの親に愛されていたことを知り、愛することができたクルル。
 母親に認められたくて、素直になれなくて、それでも彼女の死を受け入れて前ヘ進んだエレンヴィル。

 主要人物たちは皆、一様に親に何かを抱いていて、それを噛み砕いていく話だったと思う。

 その物語のラスボスであるスフェーンが、この「親と子の流れ」から切り離されてるのは、彼女がどうしても共存し得ない、ある種の「異物」だったからなのかな、とちょっと思った。
 「スフェーンがどうあっても永久人達を守ろうとするのは父や母から受け継いだ王の使命」みたいな話にも出来たはずなんですよ、でもそうしなかったってことは、そうなんだろうなーって感じ。
 自分で決めて、システムになってまで、やり遂げようとした。
 そういうところも、エメトセルクの立ち位置に通じるキャラだったんじゃないかなと。

 ほぼ4日間で駆け抜けたので細かい所とかを振り返りつつ、ざっと乱筆失礼しました。
 次の冒険を楽しみに、まずは夏コミの原稿を書きます。クラフターレベル上げてぇー。

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