被害者意識 疾病利益?

前の記事でご近所さんとの関係について少し触れました。そこで、自分だったらあんな態度とらない、悲しいなどなどの気持ちを感じたわけですが。
 2個目の医療にも通じるという記事を書いてから、また気付きがあったので書いていきます。
病気は自分のことを教えてくれる優しい存在なのに、悪として殺すのは、、、と自分で書いておきながら、人に対しては自分にとって嫌なことや悲しいことを経験した相手に対して悪としていたなと気づきました。
夫に対しても、ご近所さんに対しても。
自分はやられてかわいそう。。。。

優しく、自分に気付かせてくれる相手に、さも自分が悲しませられているような思考を持つ。。。被害者意識、すごいな自分。と感じました。
あと、こういう風に自分を分析しようと問いかけているときに、だからこう考えたんだ。と理解するだけは良いかもですが、あぁこのアダルトチルドレン的思考があるんだなと結論付けていたことも気づきました。
もちろんアダルトチルドレン(インナーチャイルド)の要素、育ってきた環境による行動や思考のくせはありますが、それが何?
それを知ること“だけ”なら良いけど、アダルトチルドレンでそれは幼少期にお父さんに○○されて、お母さんに○○されて、環境は○〇で、、、etc、、、これって分析やら、俯瞰してみているつもりで、完全に被害者意識丸出し。○○のせいでこうなったーみたいな思考に少し寄っていたと思います。
自分を知る上でアダルトチルドレンとかを学んだり、理解するのは必要なときもあると思いますが、そのせいでどうなってるんだーって結論付けるときは少し注意!そのせいにして終わってない?それってまた相手を悪として解決しようとしてない?わかったふりして味わわずに終わってない?と自分を疑ってみてはいかがでしょうか?(自分への手紙です。)

疾病利益というのが何となくわかっているようなでしたが、このような思考からくるのかなぁなんて少し自分にとって学びがありました。

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