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「親切」ってムズかしい

こんにちは、マテラッツィです。


「困っている人には親切にする。」

過去に心のノートを焚書したレベルの闇堕ち勢でもなければ誰もが心の片隅に持ち合わせているであろう思いやりの気持ちだと思います。

A「あ、あの人が困ってる!助けてあげよう」
B「助けてくれてどうもありがとう!」

毎度そんなシンプルな話で完結すれば誰も不幸にはならないのですが、現実はそういうわけにもいきません。

◇親切は受け取り手があってこそ

善意や好意は相手が受け取って初めて成り立つものです。

助言や手助けをする場合も同様です。

相手が求めてもいないのにされるお節介は、キツい言葉ですがありがた迷惑、押し付けの善意とも時に捉えられてしまいます。

過去の自分は慈愛に満ち溢れていた…とまでは言わないですが悩んでいる人がいたら声をかけ、自分に対処できるできないに関わらず極力他人に寄りそうことを心がけていました。

もちろん行動した結果喜んでくれた人もいるし、それをきっかけに仲良くなれた人もいます。

一方で「やらなきゃよかったな」と思うこともありました。(笑い話として聞いてください(˘ω˘))

なりゆきで経験が浅いながら小規模のグループ的なものを仕切る立場になり、分からないなりにあれこれ手を尽くしたり付きっきりで後輩の面倒を見ていたら、ある日その後輩から間違えて自分に対する悪口メッセージが送られてきて実はうざがられてたことが発覚したり。

(ゲームで)上達しなくて困ってるとディスコードの同じ鯖でぼやいてる人がいたので、自分はこういう風に練習してるとできるだけ丁寧に説明したものの周りに茶化されたり雑にあしらわれて萎えたり。

あと書きながら思い出したのですが、昔FF11で街の入り口あたりで微動だにせずモンスターに攻撃されてる人を見かけて特に疑わずに助けようと思い倒した結果、どうやらその人は別の街にデスポーンしようとしてたらしく。「何してくれてんだよ!」と怒られ訳も分からず恐怖しながらエリア移動して即ログアウトした小学生の頃のプチトラウマ…(今にして思うとそんな目立つところでやるなよという話ですがw)

あとから考えるとさほど大した事件(?)でもないのですが、苦い思いをして時が経つにつれてだんだん表立ってお節介を焼くことはなくなりました。

「相手の気持ちや考えを都合の良いように思い込まない、言ってもないことを勝手に決めつけない」
「相手が助けを求めたわけでもないなら自己満足な手出しはしない」

短い人生で学んで肝に銘じている教訓の内の一つです。

一概にお節介が悪いことというわけでもないですけどね…(それが困りどころ)

人によるでしょうが自分は余程むちゃくちゃじゃなければ親切にされたら基本嬉しいと感じますし、もしされた瞬間は余計なお世話に感じても後から思い返すとありがたいことだったんだなと気付くこともあると思います。

余裕が無いときって反抗期の子供よろしく何されてもうざく感じますからね。

◇望まれない親切をしてしまう前に

人は一人でも勝手に助かるし、助かるつもりがない人は助けようがない。

某物語でも見たような言い回しですがそんなことを心に留めてます。

困っている人がいて、それを助けたい人がいて、きっとそのストーリーに悪者はいません。

なのに虫の居所が悪かったりでどちらも不幸になるのはもったいないというか残念です。

やらない善よりやる偽善とはよく言いますが、「親切にしたい」という気持ち自体は大切なことで間違いではないと思います。

しかし人は存外一人でもなんやかんや勝手に乗り切れるものです。

乗り切れないにしてもやがて助けを求めることを学びます。

死なない限り生きてさえいれば大抵のことはどうにかなりますしね。

助けたい相手のことを信頼するなら、エゴではなく心から相手が助かることを望むなら、あえて自力で乗り越えるのを見守ったり必要な時に声を上げてくれることを信じて待つことも大事です。

それも一つの友情の形だと思います。

見ず知らずの相手であればまずは相手を知ることから、押しつけにならないように相手の求めてることを確認したり拒否してもいい選択肢も言いやすいように提案してあげるとかですかね(当たり前っちゃ当たり前のことですが)

一方本人がそこまで解決したいと思ってないことに対して、外野からとやかく言ったり手を尽くしてもおそらく良い結末には至りません。

深刻でなければそれこそ自力でなんとかするでしょうし、そうでなくても恨みつらみや不満をこねこねしてるだけで解決する気がないような、言い方は悪いですが自分から不幸のぬるま湯に浸かってる人を引き上げる手段はないので…

◇困っているときに困っていると言えるように

ついでに逆に自分が困っていた時ならこうするの話。

正直自分も誰かに相談するのは得意な方ではないのであまり偉そうなことは言えませんw

その前提ではありますが、あえて心に留めていることを2つ挙げるならば…

1つは先ほども言った通り生きていれば大抵のことはどうにかなるということ。

おおげさかもですが悩みが生まれそうでも死ぬことに比べれば些細なこと(拷問やノロウイルスなど死ぬより辛いことは除く)だと常々思っているので普段あまり悩むことがなく、ある意味能天気に生きてます。

もう1つは頼られたり悩みや愚痴を言ったくらいで嫌うような人は思ってるよりそんなにいないということ。

これまた人によるでしょうが、人は頼られると嬉しく感じるものです。(嫌がられるとしたらよほどしょうもないことか、同じことを何度も聞かれるとかのレベルじゃないかな…)

自力ではどうにかできないことは人を頼っても割と受け入れてもらえるものです。

また悩んでいる精神状態では「もしこれ言って嫌われたらどうしよう…」という考えが深刻であればあるほど浮かびがちですが、困りごとを言われたぐらいで嫌うような人も案外そんなにいないです。

少なくとも自分の回りでは。

もし逆の立場で仲の良い友人に相談されたとしても多分そんなにネガティブに捉えないですよね。

むしろ気を使った上で相談して、それで離れる程度の関係性なら最初からそこまで相性は良くなかったんじゃないかなと思います。

なんにせよ人に相談することは改めて言うまでもなく悪いことじゃないです。

自分のように助けを求めてもない人に余計なお節介をしないようにしてる奴もいますしね(˘ω˘)

◇最後に

自分には誰これ構わず手を差し伸べて救える力量はないことを思い知ったし、もうそのまっすぐさや度胸も失ってしまいました。外野からせめてできることは相手の幸せを祈るだけ。

ただしまっすぐで人のために構わず行動できる、まだそんな優しい心を持つ人が報われるといいなぁと思う今日この頃です_(:3 」∠)_


ほなまたっ

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