スポーツスポーツうるさい理由Vol.3
続きー!
3万回バットを振るという自分との約束を果たし、春を迎え、最後の夏に向けてのレギュラー争いが始まりました。
練習試合も始まり、結果を出すべき場が現れました。
あれだけやったんだから、大丈夫でしょ。
と思たらよかったのですが、当時は
「ここでダメだったらどうしよう。ここで結果が出なければもうギュラーはない。」
という謎のプレッシャーをかけてしまっていました。
いい球が来ても「それ打ち損じたらダメだ」と思いバットが出ない。
追い込まれて際どい球を打つ羽目になりヒットは出ません。
自分でプレッシャーかける→焦る→プレーに集中できない→ミスする→焦るに戻る
の繰り返しでした。
あれだけ努力したバッティングも、「ここで打てなきゃ意味がない」と焦ってしまい、いつも通りのスイングができず結果が出ない。
完全に負のループ。腐りきってしまいました。
「俺、やっぱり野球向いてないわ」
その思いが自身から確信に変わったような感じでした(最悪)
全体練習後の自主トレも続けてはいましたが、気持ちが入りません。
惰性で続けているようなものでした。
「このまま控えで野球人生終わるんだろうなー」
と思っていたある時、ある人から言われました。
「お前、なんでそんなに焦ってるの?『結果出さなきゃ』って思ってるのバレバレだよ。あんだけバカみたいにバット振ってんだから、打てない訳ないじゃん。あんだけバット振った人見たことないわ。そんだけやってんだから『こんなピッチャー打てない訳ねえ』と思ってやってみろ。それでダメなら多分本当に才能無いから諦めていいよ」
焦っていたのは事実ですが、それがバレているなんて思いもしませんでした。
自分の打席を撮影したビデオを見せてもらいました。
自信なさげにソワソワして、肩に力が入って硬直していました。もはや挙動不審に近い動きでした笑笑
「もう開き直るしかねえ」
騙されたと思ってやってみるかー、結果とかじゃなくて、楽しく野球してみるかー、と思い、次の試合。
当時はB戦(控えメンバーがスタメンでする試合、ダブルヘッダーの2試合目にあるやつ)のスタメンだった自分は言われた通り「こんなピッチャー屁でもないわ」と自分に言い聞かせて打席に立ちました。
少しオーバーなくらいに堂々と、ふてぶてしいくらいの態度で。
また「初球は狙え。一番打ちやすいから」というアドバイスももらっていたので、初球にストライクがくれば、とりあえず振ることだけは決めていました。
その初球。詳しく覚えていませんが、体が勝手に反応した気がします。
対外試合で超久しぶりの快音でした。
自分が一番驚いていました。笑
とても気持ちよかったのは覚えています。
それから、徐々に調子が上がっていき、結果が出始めました。
それからは、単細胞な僕はひたすらにこのことだけを考えてプレーしました。
「俺はあんだけやったんだから大丈夫」
オーバーですが、振ればヒット、に近い状態でした。
当時は定時的に各個人のデータが出され、順位付けされていたのですが、3年の6月頃には打率4割近い数字を叩き出し、チーム打率1位となっていました。
今までただの控え選手だった自分がチームで1番を取るなんて思ってもいませんでした。
それからは、主力の試合でも、代打として使ってもらえるなど、少しずつチャンスが増えていきました。
しかし、現実は厳しく、大事な場面で結果を出しきれず、最終的にレギュラーにはなれませんでした。
悔しくない、とは言いませんが後悔はありませんでした。
少なくともバットを3万回振ると決めたあの日から、全力で走り抜くことができたからだと思います。
そして、3年の夏は惜しくも予選2回戦で敗退。
高校野球人生は終わりを告げました。
負けた日は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。
同級生からも「お前よくそんなに泣けるな」と笑われるほどに泣いていました。笑笑
やりきった。けれど、負けるのは悔しい。このメンバーで野球が出来ないと思うと寂しくて涙が止まりませんでした。
そんな最高のメンバーで野球ができたのも今でもスポーツが好きな所以なのかもしれません。
また、この頃の経験は今の自分に大きく影響を与えています。
悔しい思いをしたこと。
奮起して自分なりの精一杯の努力ができたこと。
努力が結果に結びついたこと。
高校野球というスポーツで大切なことを学ばせてもらいました。
大切なことを教えてくれたからこそ、好きという思い、良さを伝えたいという思いがあるのかもしれません。
いわゆる、ガチでやるスポーツの楽しさ・厳しさはここで経験しましたが、以降はエンジョイスポーツの楽しさを感じることとなります。
読んでいる変わり者の皆様に向けてまた続きを書きますね。笑笑
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