スポーツスポーツうるさい訳Vol.2

前回から少し時間が経っての投稿になってしまいました。。。


前回は中学校までのスポーツ歴(ほぼ野球歴)でしたので、今回は高校編です。


高校でも野球をやる、というのは決めていました。いわゆる高校球児っていうやつです。

高校は当時地元では強豪校と言われていた、僕が中3のときには夏の鳥取県予選で準優勝した米子西高校へ進学しました。

この高校は進学校で、入学するにはそれなりに勉強する必要があり、中学生の時は別の境高校に進学することを考えていました。


中3の時の面談で、担任・母親にそのことを伝えると母から

「え?境高?電車通勤じゃん!他の高校にしなよ!」

と言われ、担任からも

「もう少し勉強したら西高に行けるよ!今年準優勝してるし、甲子園出るなら西高の方がいいんじゃない??」

というアドバイスをもらい、「まあ、野球も強いし自転車で行けるなら、ちょっとがんばるかー」
ということで受験勉強に励み、無事合格。
米子西高校へ入学、当然のごとく野球部へ。

1年生の頃は予想通りの雑用係。
当然、上下関係はありましたが、そこまで理不尽なシゴキ的なものはなく(監督の意向で暴力絶対反対)たくさん怒られはしましたが、苦痛なほどではありませんでした。

入学当初は日頃の練習に着いていくだけで、全身筋肉痛でした。
自主トレなんてする体力・気力もありませんでした。。。

そして、一応進学校なので、授業の予習・復習なども必要で、ヘロヘロになりながらも必要最低限だけはやっていました。(こういうところで先生に目つけられるのが嫌だったというだけ)

夏の予選で敗退し、3年生が引退すると、自分達1年生も通常の全体練習に参加でき、ベンチ入り、レギュラーを狙えるようになりました。

こういう時に何故か最初は上手くいく自分。

練習試合ではベンチ入りさせてもらったり、遠征に着いていかせてもらえるようにはなりました。

しかし、ここでいつものが発動します。
「やっぱり俺、そこそこ上手いじゃん」
「ベンチ入りくらいはいけるな」

(いい加減学習しろ)

ということで、全体練習は真面目にするも自主トレは、ほぼしてませんでした。

周りの同級生には結果が出てスタメンで出るようになった人も出てきましたが、何故か余裕こく俺。
「自分達の代になったらそのまま俺がレギュラーだろ」

という謎のポジティブシンキング?でした。

結局、1つ上の先輩がいる間はベンチ入り候補のまま、ベンチ入りすらすることなく2年へ。

新しい1年生が入部し、そして、監督が高校を離任。新しい監督が来ました。

運が良いのか悪いのか、1年生に有望株が数名おり、監督もそういった選手は積極的に使うタイプの方でした。

そして、その有望株の1人は同じポジション(ライト)でした。
今までは先輩と競っていたベンチ入りやレギュラーのところに、後輩という新しい勢力が来ました。

そして、その1年生は少なくとも同じ入学当時の自分と比べて、数段上のレベルで上手でした。

「やべぇ」
普通に焦る俺。
焦りつつも、「頑張ってればなんとかなるっしょ」という謎の余裕。

相変わらず自主トレは遠い世界の話でした。

結局夏の予選はベンチ入りできず、スタンドでの応援団でした。

1つ上の先輩が引退。ついに自分達の時代となりました。
ここでついに!と思いきや、まだ余裕ぶちかます俺。

最初はレギュラーで、試合に出ていましたが、自主トレをサボり続けたツケが一気に回ってきました。
「結果出し続けなきゃやべぇ。でも、練習してない。大丈夫か??」

焦りはミスを生み、ミスは焦りを生みます。
最強の負のループ。

結局。試合では結果が出せず。後輩くんにレギュラーを獲られる始末。。。

秋の大会では背番号2ケタ。控えメンバーの証。


悔しくて泣いていました。レギュラーが取れなかったことではなく、今までサボってきた自分が情けなくて後悔の涙でした。


秋の大会の後オフシーズンに入ります。


高校の近所に野球がめっちゃ上手いおっちゃんがやっている中華料理屋がありました。そのビルの屋上がバッティング練習のできるようになっています。

そのお店(屋上)に通い練習させてもらいました。


ある時お店のおっちゃんに

「来年の3月31日までに何回素振りするか決めろ」

と突然言われました。

確か11月の頭だったと思います。約5ヶ月で何回素振りができるかなんて考えたことありませんでした。


ふと、昨年の今頃先輩たちが「1万とか2万」とか言いながらバットを降っていたことを思い出しました。


「先輩たちが1、2万かあ。なら俺は3万だろ」


という浅い考えで「3万回振ります」と答えました。

その日から「3万」という数字を達成することを目標に毎日バットを振り続けました。

カレンダーにその日素振りした回数を書き込み、定期的に1日に必要な素振りの回数を計算しながらやっていました。


全体練習の後、後輩に手伝ってもらいながらバッティング練習に明け暮れていました。


また、同級生のチームメイトに自宅の庭に練習するスペースを持っている人の家にも通わせてもらい、練習していました。

(この同級生のお母さんのご飯が美味しいのが行く理由なんて口が裂けても言えない)


こと時に3万回バットを振ると同時に決めたのは

「0の日を作らない」

ということです。


体調が悪くても、次の日にテストがあって勉強だけしたい日もとりあえず1回はバットを振るということを義務としていました。


この【0を作らない】というのは非常に効果的でした。


1回始めて1回で終わる日はほぼありません。何度か体調不良などで1回だけの日もありましたが、基本的に始めれば結局がっつりやります。


これは今でも何かしら継続したいことがある時は「0を作らない」を目標に行っています。


また、当時は謎の精神論も持っており「素振りの時は素手で振る」というマイルールを作っていました。

素手で振り続けると、当然マメができて皮が剥けます。それでも振り続けると血が出ます。それでも振ると激痛です。


しかし、素手で振ることをやめることはしませんでした。


たとえ痛くとも「この痛みが、このボロボロの手が自信に繋がるんだ」と信じ続けバットを降っていました。(思い返せば狂ってた笑)


家族にも「何がお前をそんなに駆り立てているんだ??」と言われながらも、ただ「後悔だけはしない。量をこなすことが上手くなる秘訣なんだ。自信に繋がるんだ。レギュラーになるんだ」と自分を鼓舞し続けていました。


そして、3月のある日に3万という数字を達成し、自分との約束を守ることができました。


そして始まる新シーズン。最後の年となる3年生を迎えました。


これから先はまた長くなるので、次のnoteに書きます。

楽しみにしている人がいるかはわかりせんが、次回をお楽しみに!!


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