晴るが来る前に

まえがき

 これはあまりやが自分の感情を整理するために書いている自己満ポエミーnoteです。
勢いで書いてるので人様に読んでもらうことを目的としていません。
陰キャオタクの暗い自語りが続きますが、結論としては音楽と音楽を愛す人々に人生救われたよセンキュー!!!!という話です。
シアーミュージックやボイトレの話だけがメインではないので、ご了承ください。


 自分を奮い立たせるため、marvel in vainをBGMにして書いている。
音源化しているものは全曲聴いた上で、やっぱりa littele great escapeが一番好きだ。
この世に溢れる色んな曲の歌詞を読んでいると、たくさんの出来事と感情から生まれた歌詞なんだろうと思う。
amazarashiのようなアーティストの曲は特に顕著なのだが、歌詞に込められた感情を自分のことのように感じたり、傷を抉られるような痛みを感じることが多々ある。
 この一年間のわたしは、音楽を聴いて泣いてばかりいた気がする。
その分、同じ人間として生きているリアルな感情に励まされて心を突き動かされたことも数え切れないほどあった。

 ちょうど去年の今ぐらいの季節に、職場で1年間苦しみ続けた悩みを抱えきれなくなり、約2ヶ月休職した。
復帰してからも休職前の自分とのギャップに苦しみ続け、他人と深く関わることへの恐怖心に苛まれた。
復帰して1年経ちそうな今も完全に克服したわけではないが、当初よりはかなり落ち着いたもので、結局時間の流れが大抵のことは解決する。
だから自分のことをかわいそうだとか、この数年間の苦しみをなかったことにしたいとは今は思わない。
誰であれ死にたいほどの苦しみを足搔き続け何度も乗り越えてきたからこそ、言葉や音楽というものは豊かになってきたのだろう。

 職場の環境が変わり精神的な壁にぶつかることが増えた頃、自身と向き合うことから逃げるために何も考えず享受できる娯楽を求めていた。
そんな時出会ったのが、シアーミュージックと平田先生だった。
平田先生の歌を聞いている間は、自分のことなど忘れていられた。
職場で何があっても、平田先生の歌やmarvel in vainの曲やライブの予定が心の支えだった。
 幼い頃から歌うことが好きだったから、シアーのレッスンも楽しかった。
0から1になる進歩はどんなことでもわかりやすいもので、自分が新たな何者かになれそうな気がしてうれしかった。
逃げているのではなく新しい道へ進んでいるのだと自分に言い聞かせて、なんとなく変われたつもりでいたかもしれない。
だんだん職場での自分と新しい趣味に没頭する自分が解離していって、職場で波風立てず目立たないよう過ごす暗い自分を否定するようになった。
ボイトレやオタク活動をしている時に仄暗い感情が生まれる度、自分は本当はこんなはずじゃない、以前はもっと明るくいれたはずと、暗い自分が受け入れられなかった。
そして度々、無理して陽キャぶろうとして羞恥心で内心のたうち回ることになる。

そうかわたし、元々根っからのド陰キャだったんだ・・・・・
(20数年前生きてきてクソ今更すぎる気付き)

Twitter上では一切無理してません!!!
いつもありがとうフォロワー!!!!存在に感謝!!!

 でもこれは、きっと誰にでもあることなのだと思う。
仕事中はある程度自重して社会性を保ち、プライベートは思う存分己を開放して楽しむ。
それを責める必要などないのかもしれない。

 ボイトレにおいては、慣れてくると自分の苦手なことが見えてくるようになり、そればかりを気に病むこともあった。
低音が出ないという最大の悩みを緩和するための発声練習で恥じらいを捨てられなかったり、自分のメンタルの弱さを嫌と言うほど痛感する。
ちゃんとやろうとすればするほど声が出なくなり、レッスンを受けるのをやめようと思い悩んだ時も少なからずあった。
職場でも一度嫌なことから逃げたのに、趣味ですらやり切らずに諦めてしまったら絶対に後悔するしもっと自分を嫌いになる気がした。
うまく歌えなくて悩んでいた時期にも、たくさんの先生方の教えに救われて歌を好きでいられた。感謝・・・・
0から1になった実感は得られてもそこからの成長を感じるのが難しくて、何も変わってないのでは・・・・???に定期的にならない????
できないなりに少しでもやろうと練習したことが成果が出てるとお褒めいただくこともあり、投げ出さなくて本当によかった。

 話は少し変わるが、わたしは幼い頃からイラストを描くことが好きで、小学校~高校まで休み時間に絵ばかり描いていた。
今はほとんど描かないが、今も色んな人が描いたファンアートを見るのが好きだし、同時に絵が描ける人への嫉妬から目をそらしてしまうこともある。
隣の芝ばっかり青く見える!!みっともないね~~~~

 数年前、就職して初任給で液タブを買いデジタルで絵を描いて、ネットに投稿するようになって気づいた。

世の中絵がうまい人間が多すぎる

趣味で楽しく絵を描いていただけのオタクの心は容易く折れ、液タブも引っ越しの時に捨ててしまった。
それでもたまに絵が描きたくなり、筆を取ってはブランクでうまく描けず嫌になる。
休職してからは創作意欲を形にする気力も失い、ただただ目の前のコンテンツを消費して満足するオタクでいることを受け入れ始めていた。

※あくまで自分が元々創作するオタクだったから歯がゆさを感じるだけで、絵を描くオタクがすごいとか偉いと主張するつもりは一切ありません。
絵でも文章でもどんな形でも、好きを表現するためにかけた労力はその時間の長さに関わらずみな尊いものだと思います。

 たくさんの絵を見ていると、作品から溢れる愛に感動したりする。
自分もずっと前はそれができていたはずなのに、今は筆の取り方を忘れてしまったことがどうしようもなく悔しいと思ってしまう。
羨むだけで、結局何もしない自分が嫌になる。
すぐにうまく描けなくても、少しずつ絵の描き方を思い出していきたい。
思い通りにできない自分を否定しないようになりたい。

 改めて今までの自分を見つめ直すことができるようになって思う。
絵を描いては努力せず上ばかり見ていじけて
好きだったはずの仕事からも一度逃げ出して
高校の時にも買って挫折したギターを性懲りもなくまた買ったものの、歌との両立ができてなくて持て余している。

なんでも軽率に手を出して全部中途半端で嫌になるな~~(大の字)

特にギター難しすぎるよ 練習がんばろうね!!


 これからは今まで諦めてきたものも、少しずつ取り返して自分のものにしていきたい。
今は何の成果もないこのnoteをいつか自分の色で彩れるように、後ろめたい感情はここに置いていく。

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