日琉語名詞アクセント雑記①

日琉語名詞アクセントについて、既存の諸研究に立脚しつつ、他の品詞との関係など形態論的観点から自分なりに分析してみたい。三拍名詞も対象とはするものの、その具体的な分析は別稿に譲り、本稿では主に一・二拍名詞について考察する。
名詞の類・系列は五十嵐陽介(2016)『日琉類別語彙』によった。多音節語の系列は松森晶子(2000)『琉球アクセント調査のための類別語彙の開発』、同(2012)『琉球語調査用「系列別語彙」の素案』によった。院政期アクセントについては、原資料やその写しにあたるべきではあるが、時間の関係上、その多くを『日本国語大辞典』各項所載のものによった。

  • 未然分詞アクセント

秋永一枝(1974)『古今和歌集声点本の研究〈研究篇 下〉』では「未然形一般」のアクセントを低起動詞LL…LH、高起動詞HH…Hとし、ヲリのような高起ラ変動詞についてはHLとしている。
ここにいう「未然形一般」は「未然形特殊」に対置される概念である。ムやヌ(ズの連体形)のような助動詞が動詞未然形と融合して新たに一つの動詞のような形式をつくるのに対し、ズやバは動詞に「未然形一般」のアクセントを与えつつそれに低く接続する。
高起ラ変動詞を無視すれば、動詞未然形の「本来」のアクセントは低平調および高平調で、ズやバが直前にもつ「下げ核」のようなもののために低起動詞で上昇が起きているとする分析も可能であろう。しかし、たとえばヲラズがHLLのようになる以上、この「未然形一般」アクセントはこれらの形式の「本来」のアクセントに他ならないと見なければならない。
日琉語の動詞語根においては、有坂・池上法則に従ってこれに*-aまたは*-əを接続させた形を基礎として、ここから種々の品詞を派生させることができる。聞く→聞こ₂す、狂ふ→狂ほし、語る→語らふの類である。一部にはこの形がそのまま名詞となっているとみられる語もある。簡単のためにこの「*-aまたは*-əを接続させた形」を「未然分詞」と呼ぶことにすると、(子音動詞の)未然形とは未然分詞の末尾の母音がaに水平化されたものといえる。したがって、「未然形一般」のアクセントは未然分詞のそれを反映したものとみなせるだろう。形容詞語幹用法のアクセントもHH…HおよびLL…Hとなるが、「赤し」のような未然分詞の上に立てられたものとみなせるク活用形容詞を想起すれば、未然分詞アクセントが同様の振る舞いをしている様がみてとれる。
ここで、高起動詞、少なくとも高起*-r-動詞の未然形の元来のアクセントはHH…HではなくHH…L、すなわち高起ラ変動詞の未然分詞の形であったと提案したい。高起動詞未然分詞はその後、ラ変を除き、最終拍のピッチを低起動詞のそれと揃える形でHに変じて、高平調化した。こうすることで、高起動詞と低起動詞の未然分詞のアクセントが対称をなすことになり、さらにいくつかの名詞のアクセントにより有力な説明が与えられる。
そのひとつは第2類A系列「村」である。この語は高起下二段動詞「群る」の背後に観念できる動詞語根* ̄mur-の未然分詞がそのまま名詞となったものとみられるが、そのアクセントは上記の高起未然分詞のそれに従っている。
一方、低起語では例えば「心」(第5類、LLH)がこれによって説明できるかもしれない。その語源は明らかでないが、低起動詞*_kəkər-(「拍動する」?)のようなものの未然分詞に由来すると考えることが可能であり、その場合は低起未然分詞アクセントに従っていることになる。「数多」(院政期アクセントLLH)も「余す」の未在証の変種*_amat-から同様に派生されたものかもしれない。

  • C系列と低起上昇式

本稿では、琉球祖語におけるC系列名詞は本来的な低起上昇式の名詞群を核としてこれに他の種々の名詞が加わったものとみる。후나야氏のnote記事「日琉語方言アクセント史」(https://note.com/hunaya5834/n/n0f124e24d62e)によれば、C系列はB系列と比較して、低起上昇式を思わせる諸要素以外にも、語末で下降の音調をとる言語・方言が多いという特徴も認められ、祖語では低く始まって上昇し、末尾で下降する音調をとっていたと考えられる。ここから、本来は低起上昇式ではないけれどもこれと類似の音調をとる語も吸収する形でC系列が成立していったと思われるが、その過程は後述するとして、まずは「本来の低起上昇式」名詞とはどのような語であるかについて考えたい。
ひとつは畳語である。祖父(オホヂ)、祖母(オバ)の形があることから「父」、「母」はいずれも畳語とみられるが、院政期アクセントでは「父」はLH、「母」もLHを中心に揺れる。副詞「稍(やや)」は副詞「彌(や)」の畳語とされるが、院政期アクセントはRH〜HHとされ、明らかな低起上昇式を示す。『日本国語大辞典』では「彌(や)」を「八(や)」と同源としており(「語源説」の欄ではない)、その根拠は必ずしも明確でないが、仮にこの説を取るとすると、高起式である「彌(や)」が畳語をつくることで式保存則を破り、低起上昇式をとっていることになる。一方、一見畳語にもみえるが第3類B系列である「耳」のような語では、「ミ₁」単独での用法は文献上確認されない。畳語であることが明らかで低起上昇式でない語は恐らく第3類B系列「唾(つづ)」くらいであろう。根拠としてはいまだ十分ではないが、畳語が低起上昇式をとると仮定して議論を進めても差し支えないように思われる。これにより、典型的には第4類C系列「乳」のような語が美しく説明できる。乳房、乳子(ちご)などから単独の形態素チが抽出でき、乳が畳語であることは明らかであって、そのゆえに琉球祖語ではC系列をとっている。また、例えば第1類C系列という例外的な対応をみせる「鈴」は、畳語であるか否かの解釈が語派間でわかれたものとみることができよう。私見では「鈴」とは打楽器とみなされていた同楽器(管弦楽器の音はネ、打楽器の音はオト₂とされるが鈴はオト₂である)の打撃音を破擦音の連続で表した擬音語であるが、これがもし正しいとすれば、現実に複数回生じている「同一の音」を同音の連続で写す語は畳語といえるか微妙なところである。この「鈴」の語源に関する私見自体が根拠十分とはいえないことはさておいても、とまれ、C系列というかたちで低起上昇式がよく保持されていた琉球祖語において、「畳語はC系列」という意識自体も遅くまで存続し、本来畳語とみなされていなかったかあるいは微妙な語であった「鈴」を畳語としてC系列に取り込んでいったというのは考えうるところである。擬音語と低起上昇式で説明できそうな語はほかに「雀」(三拍名詞第6類、LHH)などがある(複合語では前部要素の式が全体の式となり、これは低起上昇式でも同様である(平子達也(2016)『平安時代語アクセント再考』))。
いまひとつは、付着した語の式を強制的に低起上昇式に転ぜさせる接尾辞のついた語である。ここでは、単に低起語に高くつくことで上昇調を現出させるというのではない、式自体を書き換えてしまうような接尾辞を扱う。上記の「畳語化」も一種の特殊な接辞と考えればこれに含まれうるかもしれない。このような接辞の好例は場所を表すコ₂(< *-ko ~ *-kə)である。院政期アクセントではコレ、ソレなど近称・中称指示語は一貫して高起語として振る舞うが、ココ、ソコのみはLHである。これは明らかに式保存則を破っており、説明が必要であろう。コ₂を低起上昇式を与える接尾辞とすれば、第4類C系列「中(なか)」にもひとつの有力な説明が与えられる。『日本書紀』巻十七の註「中此云那」にみえるように、「中(なか)」は「中(な)」に場所を表す接尾辞カの付着したものであることは明らかであるが、このカは上記のコ₂と同源と考えられる。ここでは*-kaが*-kəと同様に低起上昇式を与え、琉球祖語におけるC系列を結果している。同様の接尾辞として、第4類C系列「海(うみ)」・「上(かみ)」における*-miを提案したい。まず海についてであるが、「海原」などから「海(う)」(< *o)が抽出でき、「海(うみ)」は「海(う)水(み)」とされることがある。しかし、琉球祖語では「水」は*meNtu、「海」は*omiであり、母音が一致しない。語末と非語末における母音上昇の関係は未解明の点も多く、両者は同源の可能性もあるが、差し当たっては別語と考えておくのが安全であろう。「上(かみ)」は元来は川の上流を指すとされ、「川(かは)」、「川原(かはら)」などから抽出される形態素「川(か)」との関係を考えたいが、「川(かは)」は第2類A系列であり、「川(か)」も高起語と考えられるため、式が一致しない。例えば接頭辞「深(み)」と同源で深遠な場所を指す一種の類別詞のような接尾辞*-miを仮定し(話は逸れるが、筆者は史前日琉語において類別詞がより大きな役割を果たしていたと考えている)、これが低起上昇式を与えていたとすれば、これらの語を合理的に説明できる。もっとも、「上(かみ)」と「川(かは)」を同源として説明する必要性自体は必ずしも高くなく、*-miによって説明できそうな語も現段階では2語にとどまるため、現状ではこれは仮説のひとつに過ぎない。低起上昇式を与える接辞としては、他には例えば「本(もと)」LL〜「許(もと)」LFの交替が注目される(琉球祖語C系列)。式のみを低起上昇式に転ぜさせることで具体物を表す名詞を抽象名詞化する抽象接辞の存在を仮定できるかもしれない(ただし、この抽象接辞は式交替ではなくむしろ語末下げ核の可能性もある)。タダ、ナホ、マデ、マダなど副詞的語には院政期アクセントでLFやLHを示す語が多く、これらのアクセントの一部はこのような式交替抽象接辞の産物である可能性もある。
これらのごとき特定の接辞や形態法の産物としての低起上昇式のほかに、単に本来的に低起上昇式をもつ語もあるであろう。院政期アクセントにおいてR〜LHで記録される「沼(ぬ ~ ぬう)」のような語がそれである。このような語にまで何がしかの「説明」を与えようとするのは、低起上昇式はそもそも祖語には全く存在せず二次的にあらわれたものだとする観点に基づいているだろうし、それはこのような語が高起語や純粋な低起語に比べて僅少であることによるであろうが、筆者はそのような立場は(単に僅少であるという以上の根拠がないため)とらず、低起上昇式は単に祖語の名詞類に存在した3つの語声調のひとつであると考える。

  • 非低起上昇式由来のC系列名詞

前節冒頭に述べたように、琉球祖語のC系列名詞は低起上昇式名詞を核としつつも、これに類似の音調をとる語を多数併せる形で成立したと考えられる。このような、本来は低起上昇式名詞ではないもののC系列に加わったとみられる名詞は2つの類型にわけられる。
ひとつは、低起語と高起語の複合語である。まず、琉球祖語では高起語はA系列となって語末で下降調を、低起語はB系列となって語末で上昇調をとった。高い音調・低い音調の維持は調音上一種の負担になることから、これは自然な変化といえる。そして、低起上昇式の語は上昇点以降では高起語と同様の音調をとっているともいえ、A系列に引かれて語末で下降調をとるようになった。ここで低起語+高起語の複合語は、語頭での急上昇こそないものの、低く始まって途中で上昇し語末で下降する点は低起上昇式の語と同じであり、C系列に合流することとなった。第4類C系列の跡(低+高?)、筋(?+高?)、何(低+高)、宿(低起上昇+高)、第5類C系列の桶(低起上昇+高)、蜘蛛(?+高 cf. 琉球祖語*mosi)、前(低+降)、婿(?+高)などはこれによって説明できそうである。第4類C系列「海」も、前節の仮説を採らない場合はこれによって説明すべきであろう。一方、低起語(または低起上昇式語)と高起語の複合語と思われるもので第4・5類C系列以外に属するものはまとまった数みつけることができない。例えば第4類B系列「地震(なゐ)」が恐らくそうであり、「砂」などにみえる大地を意味するナと高起動詞「居(ゐ)る」の転成名詞の複合語とされることがあるが、B系列となっている。後述の語末母音や群化に関する議論でも同様だが、転成名詞はしばしば他の名詞と異なる振る舞い、具体的には高平調や低平調を維持しようとする振る舞いをみせる。院政期アクセントでも転成名詞は基本的に高平調及び低平調である。「なゐ」では他の低高複合語と異なり語末下降がなかったためにC系列には合流せず、そのままB系列に合流したのであろう。最初の節に述べた未然分詞の低起式のものがそのまま名詞化したものがB系列とC系列のいずれに合流したかは難しい問題である。三拍以上であれば当然にB系列となったであろうし、それにあたる語の同定は難しいものの上述の「心」は第5類B系列となっている。二拍語では、『日琉類別語彙』に第4類C系列に「早や」が掲げられており、「早し」の語幹用法であるが、これは低起動詞の未然分詞に相当するものとみられるから、低起二拍未然分詞は低起上昇式をもつとみなされてC系列に合流したということにもなりそうだが、この「早や」は副詞的な用法とみられ、前節に述べた抽象名詞や副詞をつくる抽象接辞のために低起上昇式をとっている可能性もある。形容詞の語幹は古くは単独で動詞を修飾でき、この「早や」は未然分詞の本来の用法ともいえるが、文修飾的な機能を獲得しつつ遅い時代(現代)にまで残っており、この文修飾的な用法では微妙にアクセントが異なっていたのかもしれない。一方、色彩語「青」、「黒」、「白」はいずれも低起形容詞の語幹でもあることから、特に「淡し」、「暗し」、「著し」といった形容詞との母音交替を想定すれば、低起未然分詞に準ずるものとみなせなくもないが、いずれも第5類B系列である。差し当たっては、低起未然分詞の単独形はその拍数にかかわらずB系列となったと考えたい。
本来は低起上昇式でないもののC系列に加わった名詞のいまひとつの類型は、語末に長母音をもつ低起語である。具体的には、日琉祖語において語末に*-iを含む下降二重母音が再建される語のうち第二音節の頭子音が*k、*p、*mおよびその濁音でないもの、すなわち、上代日本語でいえばイ・エ列乙類音で終わるはずが子音の関係で甲乙の区別がなくなっているような語である。第4類C系列「箸」、「針」、「舟」、第5類C系列「声」などがこれにあたるであろう。「晴れ」のような転成名詞および第4類B系列「稲」を除けば、B系列にこのような語は見当たらない。二重母音に由来するイ・エ列乙類相当の母音は古くは甲類母音に比べ長く発音されたが、半母音の有無による音価の対立のある箇所では長さの対立は中和され、残った長母音は語末に下降調を形成、これによりこれらの語をC系列に合流させたのだと考えられる。
これら、本来は低起上昇式でないにもかかわらず原C系列に加わった2つの類型の語群は、「本土語」の語類においても(第3類ではなく)第4・5類に属する(それゆえ第3類C系列は僅少となっている)。したがって、この変化は日琉の分岐前に起こったものとみなければならない。この点については次節で改めて触れる。

  • 群化と分化①

前節で述べたように、低起上昇式でないにもかかわらずC系列に加わった語は「本土語」の語類においても基本的に第4・5類となっている。しかし「本土語」ではこれに加えてさらに第4・5類に加わっている語がある(第4・5類B系列)。前節に述べた第4類B系列「地震(なゐ)」や、低起未然分詞に準ずるとみられる第5類B系列「黒」のような色彩語については更なる説明は不要と思われるが、これら以外の語については説明が必要となる。「本土語」における第4・5類形成の機序は、結論からいえば語末に下げ核をもつ低起語とこれを核とした分節音による一種の「群化」である。このことを確認するために、第3・4・5類における分節音の分布について確認したい。注意すべきは、ここで論ずるのは『日琉類別語彙』に述べられる第4類と第5類の群化ではなく、それに先んじて起こったと思われる、より大規模な分化である。
転成名詞および字音語を除くと、第3類には第2音節に濁音およびウ列音をもつものが少ない。濁音の例外は「蛆」、「腕」、「怪我」、「鍵」、「荻」、ウ列音の例外は「犬」、「靴」、「明日(あす)」、「升(ます)」とみられるが、ここで「明日」、「升」はA系列であり、「鍵」、「荻」は『日琉類別語彙』において系列が再建されておらず、例外的な語においてアクセントの対応も乱れている点は注目される。また、「原(はる)」、「唾(つづ)」は主として九州〜琉球に分布する語形であり、「本土語」における現象を考えるうえではむしろ好例ともいえる。「渋(しぶ)」、「脛(はぎ)」は院政期アクセントにおいてはそれぞれLF、RLとされ、「唾(つば)」はツハキの約とされる。
第3類に濁音が少ないことについては、その理由は比較的明らかである。『古今和歌集声点本の研究〈研究篇 上〉』などによれば、院政期アクセントにおける複合語では前部要素の式と後部要素の下げ核の位置が維持され、後部要素に下げ核がない場合には、通常、低起複合語では語末拍、高起複合語では次末拍に下げ核が付与される。よって、第3類の低平調は少なくとも院政期京都における複合語アクセント規則にはなじまないものと考えられる。日琉語における濁音が全て複合語などに由来する二次的なものか、祖語に直接由来する濁音も存在するかについてはここでは詳しく論じないが、第3類で濁音の分布が限定されていることからみて、複合語でない低起有濁音語も、「本土語」では低起+低起の複合語に引きずられる形で語末に下げ核を付与され、その結果として第4・5類に群化するという変化が起こったものとみられる。複合語に語末下げ核を与える規則は、例えば低起語の列挙と低起語同士の複合語とを峻別するためのものと考えられるが、琉球祖語との分岐後に「本土語」において生じたものとみるとよい。一方、一見複合語にもみえる第3類の「夢(寝目)」、「実(真根)」、「荻(小木)」は複合語というより接頭辞のついたものと考えられる。特に「実」、「荻」は日琉で対応が乱れているが、接頭辞が定まったアクセントをもたなかったためだと考えるとわかりやすい。「荻」は有濁音語でもあるが、「小(を)」は後続語を必ず濁化させる接頭辞であり、その濁化プロセスは、さらに言えば濁音の音価は、通常の連濁によるそれとは異なっていたかもしれない。*_woN.kəiのようであれば、後述の「蛆」などと同様に、第2音節は濁音とみなされなかった可能性もある。同様の接頭辞に「か黒し」などの「か-」がある(→鍵?)。濁音の例外である第3類B系列「蛆」、「腕」、さらに後述するがウ列音の例外である「犬」については、単独の狭母音の直後に鼻音(濁音含め)が位置しており、たとえば*_N.siのような発音が行われていたために、第2音節が濁音とみなされず、あるいは1.5拍語のようにみなされ、群化が阻害された可能性がある。このような位置では清濁は恐らく対立しなかったであろう。逆に第4・5類B系列で単独の狭母音の直後に濁音やウ列鼻音が位置している語は見当たらない(他列鼻音を含めても「稲」のみとみられる)。「怪我」については「けがれ」のような転成名詞の脱落形と考えると低平調が説明できる。
ウ列音については、『日琉類別語彙』の述べる第5類(または院政期アクセントLF)の動物語に(『日琉類別語彙』非所載の語も含めて)「鶴」、「猿」、「鮎」、「虻」、「蛭」と語末ウ列音の語が多く含まれ、特にA系列であり式を飛び越えて群化したとみられる「鶴」が語末ウ列音をもつ点が注目される。筆者の意見では、群化とは勝手に始まるものではなく、もともと特定の語類に例えば動物語の一群が(偶然にせよそうでないにせよ)あって初めて、これを核として起こるものである。恐らく、動物語(など)につく*-(r)umのような類別詞的接尾辞が存在し、これが日琉分岐後において語末下げ核を結果し、この語群を核として群化が起こったのであろう。この*-(r)umはヘビ〜ハブの交替をもたらしたものかもしれない。群化の具体的なプロセスであるが、第5類の動物語は、核となる語末ウ列音の語を除けば虫と狭義の魚に集中し、一方で第3類の虫・魚は前述の通り1.5拍とみなしうる「蛆」のみとみられるから、まず低起語の虫・魚・語末ウ列音の語が第4・5類に群化し、しかるのちに後述する京阪式の勃興に際して動物語が第5類に群化したと考えられる。群化は、より広範囲で起こっているのである。

  • 群化と分化②

語末下げ核を引き金とする低起語の第4・5類への移行について2つのパターンを検討したが、更なる可能性を探るため、これらの語の分節音をより広汎に検討したい。本節の議論では特記のない限り、字音語、転成名詞およびこれまでに検討した複合語、有濁音語、語末ウ列語を除いて考える。
まず、*k、*p、*m以外の子音を第2拍にもつ語をみる。注意すべきは、語末長母音を再建すべき語は既に第4・5類C系列に移行している点である。イ列では、第4・5類B系列の第2拍に阻害音は現れず共鳴音のみである一方、第3類では阻害音が圧倒的で、共鳴音は「糊/海苔」(B系列)、「脂(やに)」(系列不明)、「縁(へり)」(系列不明)のみとなる。ここで「脂(やに)」は諸方言にネヤのような語形がみられることからその音位転換とも考えられ、「糊/海苔」は「伸(の)る」の転成名詞ともとれる。一方、第3類第2拍において*k、*p、*m以外の子音をエ列でもつのは「腕」、「畝(うね)」、「脛(すね)」の3語のみであり、前二者は前述の通り1.5拍とみなせる可能性がある。『日琉類別語彙』では第2拍ネを第4類とするが、そもそも第3・4・5類の第2拍にはレは(偶然?)全くみられないから、「苗」を例外とせず、またイ列との調和をとるためにも、(子音を*k、*p、*m以外に限定したうえで)第4類を第2拍共鳴音、第5類を第2拍阻害音とすべきであろう。
続いて*k、*p、*mを第2拍にもつ語をみる。ここで語末二重母音が再建される語が第4・5類となっていれば好都合であるが、実際には「茎」、「月」、「米」、「豆」、「夢」、「闇」が第3類に含まれる(「闇」は系列不明)。ここで、第2拍にキ甲乙やヒ甲乙をもつ第4・5類B系列の語はないため、第2拍にイ列阻害音をもつ語は第3類となるとして、「茎」および「月」は解決できる。残る4者から合成語「夢」を除いた3者であるが、これらはいずれもミ・メ乙類を含むにもかかわらず母音交替を呈せず(被覆形が在証されず)、特に「米」(「闇」も?)の母音は有坂・池上の法則に馴染まない。一方、第4・5類B系列の「鑿(のみ)」、「雨」のミ、メはいずれも乙類であり、特に「雨」は母音交替を呈する。このことから、「米」、「豆」、「闇」のミ、メは本来は甲類であり、第2拍にミ、メ乙類をもつ語が第4・5類になったあと、低平調第2拍においてミ、メの甲乙は動揺を来し、何らかの条件によって再分化したと考えられる。
オ列については、甲乙かかわらず、第4・5類B系列において複合語や有濁音語、字音語を除いていくと第2拍にオ列音をもつものは「蓑(みの)」(第4類)と「腿(もも)」(第5類)くらいしか残らない可能性がある。一方、第3類第2拍にはオ列音は甲乙ともに豊富であり、第2拍にオ列音をもつ低起語は概ね第3類にとどまったと考えてよさそうである。
第2拍にア列音をもつ語については、各語類の分節音に有意義そうな差異は見出せなかった(強いて言えば第4・5類B系列では*k、*p、*mのア列を第2拍にもつ語は「粟」のみであるが、ア列音についてこの子音による分類が妥当とはあまり思えない)。第4・5類B系列のなかには低起未然分詞や複合語、さらに本来的に下げ核や*-mのような末子音をもつ語が含まれていよう。これは他の母音においても同様であり、全ての語を後代から可視な分節音等のみによる分化や群化で説明することはできず、またそれは本稿の目指すところでもない。全体的にみれば、語末二重母音の再建される語の一部、および第2拍に共鳴音をもつ語やエ・オ甲乙といった中段母音をもつ語が第4・5類に分化していったものとみられるが、祖語の時点から低起上昇式が存在していたと考えるべきなのと同様、語末下げ核またはその直接的祖先というべき*-mのような語末分節音も祖語の時点から一部の語に存在していたであろう。

  • 分岐

以上の議論を踏まえて、アクセントの観点からみた日琉諸語の分岐について検討したい。
まず、東国語についてであるが、そのアクセントの実態は不明である。八丈語は無アクセントとされるから、東国語全般が無アクセントであった可能性もある。分節音の祖音素との対応などの観点から、東国語は日琉(「和琉」)分岐よりも先に分岐したものと考えたい。
その後、低起上昇式に低起+高起複合語と語末長母音をもつ低起語が加わる変化が起きたが、この際、九州西端を除く東方の広汎な地域ではこれに加え、分節音と一部意味を条件とした群化によってより大規模に低起上昇式への流入が起こり、低起式と低起上昇式の関係が大幅に再編された。そして、両方言の境界部には低起式と低起上昇式の区別自体が消滅した方言が分布し(西南九州二型式)、東西両派はスペクトラムをなした。これらの変化と分岐は、元来所属語が少なく「不安定」な語群であった低起上昇式の処置を巡って起こったものといえるだろう。
このとき、東方語群ではのちの京阪式と異なり、低起上昇式(第4・5類)における語末下降の有無は曖昧、もしくは複雑であり、同じ語でも被覆形・露出形の違いや複合語意識の強さ、また一種の自由異音などにより語末下降の有無は変動したであろう。本稿では詳しく触れなかったが、これは高起語の語末でも同様だったと考えられる。この東方語群は恐らく西は筑紫から瀬戸内海を通って東は遠江・信濃・越まで分布していたと考えられ、より東方には東国語が分布したと思われるが、この中心部の多くの地域においてまず、本稿では触れられなかった何らかのプロセスによって高起語の語末下降の有無が整理され、残る周縁部の地域が外輪式となった。その後、瀬戸内〜近畿〜北陸のラインにおいて京阪式が勃興し、『日琉類別語彙』の述べるプロセスによって低起上昇式が第4類と第5類に分化した。以上が諸アクセント分岐のプロセスに関する本稿の仮説である。アクセントの音価については、京阪式が上昇位置を後退させたと考えるとよく説明できる。
【外輪式分岐後、京阪式分岐前】
第1類 HH-H
第2類 HL ~ HH-L
第3類 LR
第4・5類 RH ~ RF
【京阪式】
第1類 HH
第2類 HL
第3類 LL
第4類 LH
第5類 LF
この箇所は「日琉語方言アクセント史」(https://note.com/hunaya5834/n/n0f124e24d62e)を大いに参考とさせていただいたが、同一ではない。
字音語アクセントも固有語(など)の語類と同様の対応を示すことから、諸アクセントの分岐は字音語が音韻的に固有語化する中世以降であり、京阪式は院政期に既に記録されていることから、各地の東京式アクセントなどは京阪式から独立に派生していったものだとする議論もあるが、筆者はこれには懐疑的である。というのも、上表のようなアクセントを想定すれば諸方言の原アクセントは大きく異なるものではなく、この状態が中世初期まで続いてさえいれば、同じ語類で借用されても不思議はないこと、また仮にアクセントの内容が大きく異なっていたとしても、異なるアクセントの地域を往来し日常的にコード・スイッチングを行いつつ字音語を各地に伝えたと考えられる教養層にとっては、中央語において例えば「毒」という字音語が「米」と同じアクセントで発音されるので母方言でも「米」と同じアクセントで発音するというような行為は容易かつ極めて自然であったと(現代において京阪式と東京式のコード・スイッチングを行っている筆者自身の経験からも)考えられるからである。

  • まとめ

最初に一・二拍名詞の全体を検討すると述べたが、主に二拍語の低起語と低起上昇式との関係の検討に終始してしまった。高起語にも下げ核の有無をわける低起上昇式と同様の群化があったと考えられるが、その検討は三拍語、また一拍語の分析とあわせて、別稿に譲りたい。

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