[本の紹介] はじめての短歌

穂村弘(著)

会社の同僚がオススメしていたので読んでみたら、良い内容で嬉しい出会いとなった本。こうやって本を読むことで、あとあと何かをする時にふと思い浮かぶ視点が増えていくこと、次の考えに発展してじわじわ効いていくものが得られるのが好き。その著者が気になって色々展開して読んでいくことも好き。

書いてあったこと

私たちが使っている言葉は「生きのびる」ための言葉と「生きる」ための言葉がある。それは「社会的な言葉」と「個人的な言葉」とも言える。歌人の穂村弘さんがいいと思う人の短歌とその改悪例をあげて、何がいい短歌であるかと紹介している。

目が覚めて日のさすカーテン開けたとき歩いていたのは太郎君なり(元)
目が覚めて日のさすカーテン開けたとき歩いていたのはおじいちゃんなり(改悪例)

これは「太郎君」という中学生のおじいちゃんに対する純粋ないつもの呼びかけがいいところなのに、誰にでも分かりやすいように「おじいちゃん」と書いてしまうことでその良さが失われてしまうというような内容。確かに、その人の心からふと出た呟きとして響いてくるのは明らかに前者。

そのほかにも非効率でお金にならないようなこと、誰もが無意識に行なっているけれど名前が付いていないような日常の行動やその人を賛美し、それをそのまま切り取って言葉にする巧みな言葉選びの実例が続く。

読んでいくうちに、自分も同じような言葉を発することができればいいな、そうやって生きていきたいな、と純粋な表現者を羨ましく思うようになる。「伝える」資料を作ると同時にそんなことができるようになりたいと思った。



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