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雨の朝、出かけようか迷いながらぐるぐる考えたこと

以前、某K-POPアイドルのアメリカ公演で導入されたダイナミックプライシングが物議を醸したことがある。

ダイナミック=動的なさま。力強く生き生きと躍動するさま
プライシング=価格設定

名の通り、価格が変動する仕組みのこと。需要が高いものは高く、低いものは安く。今後、当該アイドルの所属事務所の海外公演ではこのシステムが導入されるとかなんとか言ってた気がする。

座席位置によって料金を変えること自体は妥当だと思う。問題になったのは、5万円のチケットを選んで数秒〜数分後に決済に進んだら25万円に爆上がり、、、といった現象だった。

転売屋対策になるという意見もあったけど、私はK-POPアイドル業界を銭ゲバ認定しているので、単純に収益の最大化が目的ですね?としか思っていない。

内需が弱くはじめから世界の音楽市場を目指してアーティストを売り出すわけで、アメリカ市場のやり方に合わせるのも自然だろうし。

同じことを日本のコンサートでやるかは分からないけど、もし導入されても今のK-POP人気なら完売するし天井席でも安値になることはないだろうから利益を出したい運営側はやりたいだろうと思う。

既に日本でも野球などでダイナミックプライシングが導入されているけど、そこまで話題になっていないところを見ると(私が知らないだけ?)K-POPアイドルのコンサートのように目玉が飛び出るような価格変動ではないと思われる。

なので、このシステムが消費者に受け入れられるかどうかは価格変動の幅によるのかもしれない。

何でもかんでも安いのがいい!とか多様なサービスを無料で提供すべき!とは思っていないし、むしろ応援するものには対価を払いたい。
(余談だけど、友達だから安くしてもらえると思ってる人種がとても苦手)

ただ、あらゆるものがお金に換算されていく社会には一抹の苦しさを覚える。「健全な資本主義」というものが存在しうるのか分からないけど、格差社会まっしぐらで自然な暮らしからどんどん離れていく世の中が息苦しい。

こういうお金を稼ぎゲームを生み出して、もはやゲームだということすら忘れて、そのせいで自ら命を落としたりする人が出てくる世界は健全じゃないと思う。

現代に生まれてしまったら、管理書類から自分の存在を完全に消して人里離れた山にでも籠もらない限り、このゲームに強制参加させられる。

たまに思う。

あぁ、縄文時代に戻りたい、と。
(飛躍する思考)

一万年続いた縄文時代では人間同士の争いがほとんどなかったと言われている。それはみんなで仲良く暮らしていたというより、生きることに必死で争う余裕すらなかったということらしい。

稲作が始まって、文明が発達していく過程で身分制度ができ、大きな戦争が起こるようになったとか。

毎日生きることに真剣であれば人間同士で争ったり殺し合ったりしている暇がない。暮らしが便利になって安全に楽になったことにより、奪い合ったり傷つけ合う世界になってしまうなんて皮肉すぎる。

自分たちの行動が自分たちの体や巣を壊していることに気がつかないほどに愚かな生き物になった人間の未来を憂う。

コロナ渦、ワクチンなどの国策に反する意見を「陰謀論(笑)」とする傾向があったけど、私はこの世に陰謀はあると思う。

今の世の中の流れを見てもそうだし、歴史的な大きな出来事だけじゃなく銀行の成り立ちや外資に買われる日本の資源の話や現代の食の話など調べるほどに。「陰謀論(笑)」と嘲笑すること自体が「陰謀」ではないかと思う。

未来は不確定だから、この先ジョージ・オーウェル作品のような世界になるかは私たち次第だけれど、自分の頭で考えず常に権威に従うだけの大人が増えればいずれそうなっていくのだろう。

自分で考えて自分で決めて自分で行動することよりも、誰かに方向性を決めて導いてもらう(管理される)ことが幸福な人もいるのかもしれない。

それが「生きている」と言えるのか、私には分からないけれど。

現代の日本人は大人になると、大抵はどこかの会社に就職して、時間=命を売ってお金を稼ぐ。そのお金で税金を支払い、生活をする。結婚や出産でライフステージを変えながら、日々の暮らしに追われているうちに少しずつ歳をとっていく。

◯歳くらいになったら結婚して、子供は◯人くらいで、◯歳までには家を買うべきで、老後の貯金は◯千万円必要で…そういうものが人生だと思わされる。

こういう数字は、自分の内側から湧いてきたものではないというのに。

本当の本当は、生きるのにそんなにたくさんのお金は必要ないし、何をしてもどこに行ってもどんな生き方をしても自由だというのに。

そういうこと全て、忘れ「させられて」いる。

K-POPアイドルを好きになって確信したことがあって、偶像を崇拝し彼らの作り出す物語にのめり込むことは自分の命を生きることの本質を見落とす、ということ。

韓国の音楽業界の仕組みを理解してこそ真のファンだと呼び掛け、大切な私たちの推しの居場所を守るために!と自分の大切な時間とお金をかけて応援し、同じ熱量でないファンに怒ったり泣いたりとメンタルが不安定になっている人たちがまあまあいる。

同じCDを何枚も何十枚も買ったり寝ている間もMVを再生したり、いくつも広告を見て複数アカウント作ってランキングに投票したり、グレーな(ほぼ不正だと思っている)見せかけの記録を作るために奮闘する。

そんな風にファンが膨大な時間と労力を費やさないと活動していけないのがK-POPアイドルの世界なら、それは持続不可能なシステムで正すべきエラーだと思う。

ついでに、使命感に燃えている人が日韓問題に関心を持ってファンダムで流行った参考図書1冊だけを読んで鵜呑みにし、無知は恥だと他人を罵ったり日本人に生まれたことが恥ずかしいとか言い出したりする。

エンタメは人生に彩りを与えてくれる。エンタメを楽しんで、それを通して自分の生き方が磨かれて人生が輝くのならば、それはそれで素晴らしい影響。

だけど定期的に巻き起こるファンダムのイザコザや論争をいろいろ見てきて、世の中もっと大事なことがあるだろう…その熱量を政治や社会問題に向けてはどうか?と余計なお世話なことを思ってしまう。

コロナ渦、BTSにハマった私は精神的にとても疲れていたと思う。彼らの作る歌、語る言葉のひとつひとつが胸に沁みた。現実の苦しさから逃れるために、紡がれた素敵な物語に浸っていた。

チャップリンの言うように、人生はクローズアップで見ると悲劇でロングショットで見れば喜劇なんだろう。

この世界を味わう感性を持つことは大切だけど、同時に冷静に俯瞰で見る視点も持っていないと感情に飲まれスクリーンの中に入り込んでしまう。

この体がすでにアバターなのに、ゲームの中でゲームやっているような状態になってしまう。

本当は、デジタル機器の画面の向こう側の素敵な世界に集中しているときよりも、目の前のリアルな生々しい手触りの世界を味わうときの方が「豊かさ」を感じることを知っている。

でも、清濁併せ呑んだ上で、今生はこの資本主義をとことん楽しんでトチ狂うために生まれてきたんだぜ〜!という人だったら、軽くて明るい波動で、この魔界のような現代社会のマネーゲームもライアーゲームも楽しめるのかもしれない、などと思ったりもする。

眼精疲労を感じたのでここで終わります。
(唐突)


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