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雲部!vol.38 雲スイッチ

きょうは雲スイッチの話をしたいと思います。

雲スイッチ、それは私が勝手に作った言葉です。
雲をみてつい立ち止まってしまう、
雲が何かの形に見えてしまった!とき、
ちょっと変わった雲の種類をみつけてよろこぶ、
雲の流れにしみじみとする、
など、雲スイッチが入っている状態にはいろいろあります。

いちばん明確なスイッチオン!の目印は
「真っ白い綿雲以外の雲に興味を持ってしまったとき」
です。

薄ーい巻雲、早朝や夕方のクリーム色の雲、はたまた雨が近づいているときの荒れ動くような灰色の雲。

そんな雲たちを見て立ち止まって気を取られたなら、それはもうスイッチオンです。

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スイッチが入った人の絵や言葉って、なんとなくわかるように思います。絵画や詩、小説などの中で雲をどんな風に描写しているかを見て、「ああこの作者さんは雲スイッチが入っているなあ」と思うことが時々あります。

最近では、原民喜の詩集※1に雲スイッチを感じました。

たとえばこちらの詩。

「師走」※2
寒ざらしの空に
おころりおころりと軽気球が
たつた一つ浮んでゐる
そこから何が見えるのですか

雲の描写はありませんが、空をじっくりと眺めている作者の様子が目に浮かびます。

「冬晴」※2
冬晴の昼の
青空の大きさ
電車通りを
疲れて歩く

こちらの詩も、空を体感しながら歩いている様子が見て取れます。

こうして詩集をめくりながら何だか近しいものを感じていき、「ああやっぱり」とたどり着いたのがこちらの散文詩でした。

「雲」※2
 雲にはさまざまの形があり、それを眺めてゐると、眺めてゐた時間が溶け合つて行く。
 はじめ私はあの雲といふものが、何かのシンボルで獣や霊魂の影だと想つた。ナポレオンの顔に似た雲を見つけたり、天狗の嘴に似た雲を見つけたことがある。石榴の樹の上に雲は流れた。
 雲はすべて地図で、風のために絶えず変化してゆく嘆きでもあつた。金色に輝く夏の夕べの雲、濁つてためらふ秋の真昼の雲、それを眺めて眺めてあきなかつた中学生の私がある。
 何時からともなく雲を眺める習慣が止んだ。私の頭上に青空があることさへ忘れ、はしたない歳月を迷つた。けれども雲はやつぱし絶えず流れつづけてゐた。そして今、私が再び雲に見入れば、雲は昔ながらの、雲のつづきだ。

雲詩人というと、山村暮鳥がよく挙げられます。私も大好きですが、この散文詩を読むと、原民喜もまた雲スイッチが入った詩人なのだなあと確信します。

作品を通してでも雲スイッチが入っている人に出会うのは、とても嬉しいものです。時代も国も超えて、私は雲スイッチが入っている人に出会いたいし、つながりたいと思っています。

そうそう、最近「雲を愛でる会」※3に再入会しました。会の運営するWebサイトの中身がとても充実していたので、参加したくなったのです。英語なのでなかなかスムーズにはいかないのですが、勇気を出してそちらでも少しづつ発信を行い、雲スイッチが入った友人を見つけていくつもりです。

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※1 『原民喜全詩集』岩波書店
※2 掲載の詩3篇は青空文庫「かげろふ文庫」原民喜 より引用しました。
   https://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/60440_72821.html
※3 The Cloud Appreciation Society (雲を愛でる会)
   https://cloudappreciationsociety.org/




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