見出し画像

多文化共生の取り組みにおいて環境文化を学ぶ意義

                         【活動報告】NO.004

R3_A18 合同会社オトナキ 水嶋 健(ネルソン水嶋)さん(沖永良部島)

※トップの画像は、イベントで島に暮らす20代の日本人とインドネシア人たちが遊ぶ様子。

奄美環境文化プログラム第一期生の水嶋です。
ふだんは沖永良部島(おきのえらぶじま)に住んでいます。

肩書きはライター・編集者・新聞記者、その時々で変わりますが、読み物に関わる仕事です。これを業として始めてから、およそ12年が経とうとしています。

えらぶはもともと母の故郷であり、今も祖母が住んでいますが、私が移り住んだのは2020年7月。それまでベトナムに8年ほど住んでいた私は、ネットを通じてえらぶにベトナム人の技能実習生が多く住んでおり、また失踪者もいると知って、何かできないかと思ったのが移住のきっかけです。


<ベトナムにいた頃の私>

しかし、ルーツがあるとは言え、初めて住む土地で、何事も簡単には進まないことばかりでしたが、今年1月にひとつの成果を出せました。「やさしい島生活ガイド 沖永良部島の暮らし方」という、外国人住民向けに作った生活情報冊子です。バスの乗り方、ごみの捨て方、台風対策、などなど、島生活を送る上で必要な(それまで外国人の方が困っていた)生活情報を載せています。

日本人の移住者の方からも「自分が住み始めた頃に欲しかった」と好評で、日本語初級者でも読めるように全ての漢字にふりがなが振られているので、漢字の読めない子どもにも読める、外国人に限らずいろんな人にとって『やさしい』本ができたのではないかと思っています。

<やさしい島生活ガイド>

YouTube <解説動画もつくりました>

さて、自己紹介はここまでにして、今日は、そんな私の取り組みにおいて「奄美〈環境文化〉教育プログラム」がどのような影響をもたらしたのかについて書いてみたいと思います。

プログラムを受ける動機は当初、「ルーツのある島についてもっと知りたい」という、言わば興味本位でした。むしろ、取り組み…ここからは便宜上、"多文化共生"と書かせていただきますが、それとつながるとは思いもよりませんでした。しかし、修了して、時間が経てば経つほど、接点というか、むしろ「多文化共生と文化継承の両立は難しいのではないか?」と思うようになりました。

多文化共生とは、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」だと言われています。

沖永良部島には現在、日本人を含めて11カ国の人が暮らしています。ひと口に外国人といっても、国籍別に、1人の場合もあれば、60人以上いる場合もあります。それぞれが「互いの文化的ちがいを認め合う」というのは一筋縄ではいきません。認め合う以前に、島のマジョリティである日本人は、ここにそれだけ外国人の方が住んでいるという事実すら、あまり知られていないのですから。

これは沖永良部島に限らず今後日本社会が直面する課題ですが、多文化でいこうと、すべてを認め合おうと声高に叫ぶほど、その土地が持っている文化の存在感が小さくなっていくのではないか?そう、私は感じ始めたんですね。ベトナム、インドネシア、ネパール、ミャンマー、そんな、国外から来た人の文化に目を向けるほど、自分たちの足元にある文化を見つけづらくなってしまう…。

少なくとも、グローバル(国際)とローカル(地域)という点で、真逆の印象を持たれるものだと思います。前者を推し進めれば後者は後退し、後者を推し進めれば前者は後退していく。私の憂慮に過ぎないかもしれませんが、今になって思えば、そうした不安を抱くようになってから、自分なりに「多文化共生」と「環境文化」をあえてミックスさせてみようと考えるようになりました。

そこで、一昨年から、奄美群島広域事務組合の研修で、2年かけてエコツアーについて学んでいたんですが、2か月くらい前ですかね、そんなグローバルとローカルを思い切ってぶつけてみようと、島で介護士として働く中国人とミャンマー人の友人3人を集落歩きに誘ってみたんです。

暗川(くらごう)と呼ばれるかつての水源だった洞窟や、湧水地を巡ってみました。集落歩きを楽しむにも土地の物語性が必要だと思うけど、かと言ってそんなに日本語が流暢というわけではないし、自分も中国語もミャンマー語も話せない。でも、思いの外、すごい喜んでくれたんですよね。

「暗川では昔、頭に水の張った桶を頭に載せて運んでいたんだよ」と説明すると、「ミャンマーでも田舎に行けばまだあるよ」と。また、「減反政策で米づくりが減っていたんだよ」という話にも、日本と同じく米をよく食べる国ということもあってか、興味津々に聞いてくれました。

そうか、お互い、人間だったと。人間なら、共通するものなんていくらでもあるじゃないか。

そこで思ったんです。あぁ、グローバルとローカルは、相反するものではないんだなと。むしろ、同じ土地に暮らしているのだから、地域の多文化共生というグローバル化において、環境文化というローカルは、強力な互いの共通項になりえると。むしろ、それを生かさずして、一体何を以てして「地域社会の構成員として共に生きていくこと」が実現しえるのだろうか、と思ったわけです。

そして、また、地域の文化もそんな多文化のひとつです。ただし、長い目で見たときに、さまざまな文化が色濃くなるほど、相対的に地域の文化は薄くなるだろうと思っています。

たとえばミャンマーの朝食は、イギリスからパウンドケーキ、中国からちまき、インドからサモサなんていう風に、隣国や旧宗主国の文化が入り乱れています。それも、たった一世紀前も遡れば、少なくともイギリスはいないでしょう。もちろんミャンマーの朝食もその中にありますが、プレイヤーのひとりというわけです。さらに遡れは一体何をオリジナルとするのかは難しいところです。

それは、時代とともに変化するので、考えてもしょうがない。
大切なのは、絶やさないこと。

だからこそ、多文化共生がどうのこうのと『グローバルに傾倒』している私自身が、環境文化という『ローカルに傾倒』する意義は大きいはずです。いずれにしろ、自分たちの文化に敬意を持てない地域が、知らない文化に敬意を持てるわけもないですから。学んでよかった!環境文化です。

以上となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?