世界の不在証明とその進行を語らう書

昔からの疑問だ。

先日、大学の同期が先輩と共に私の住む街に遊びに来ており、久方ぶりに飲んだ。
その後同期は我が家に泊まり、月曜日の朝に私が出勤すると同時に出て空港へと向かい、彼もまた午後から仕事だと言っていた。
私は職場に行き、手術室で麻酔を行う。
その間にも彼は空港へ向かい、飛行機に乗り、そして彼の住む街に帰り仕事へ向かう。
お互い社会人になってしまったのだなというもの悲しさはあるが、それを語りたいのでは無い。

果たして彼は私と別れて空港に向かい飛行機に乗り、その後職場に向かったのだろうか、ということである。
彼が実は回り道をして職場をずる休みしたのではなかろうかとか、そういう話をしたいのでは無い。
つまり、私の目の及ばない場所、直接的に五感が届かない場所で本当にこの世界は様々な事象が進行しているのか、という疑問である。

今私は自宅でPCを前にこの文章を書きながら、推しのYouTube生配信を流している。
見渡せば部屋があり、そこにはベッドや本棚があり鞄が転がっており扇風機が回っている(我が家にはエアコンが無い、この夏は本当に地獄だ)。
私が把握できる世界の進行はそれだけだ。
例えばニュースをつける。ウクライナで戦争が続いていて、原発の処理水放出で世論は揉め続けている。把握した世界進行の中に、テレビ画面の中で世界の事情が飛び込む。
でも実はこの間にも職場には救急車が来ているのかもしれないし、飲み屋街では誰かしらが飲み歩いているのかもしれないし、東京はこんな時間でも明るくて、どこかの田舎は真っ暗な中で天の川がかかっていて、もっと広がるなら月は回って太陽は燃えて、木星の大赤斑は600km/h以上の速さで吹き荒れていて、いて座A*ではブラックホールがぐるぐる回ってガンマ線を放出している。
・・・本当に?
自分が把握出来るよりも外側で進む世界は、把握出来ていない以上本当に実在しているのかは証明出来ない。
他人から「いや進んでいるよ」と色々教えられたとして、その"教えられている”という状況は確かに私の五感の範囲内なので、他者から教えられる把握外の世界進行としてその世界進行は私の中で本物になる。
でもそれはあまりにも間接的であり、私の五感が直接感じたものでは無い以上、どこまでも伝聞の世界だ。
そこに私はいない、いないのに世界は進んでいるらしい。
この不在証明とされど進む世界の現実に(事実なのか、はたまた真実なのかは分からない、だって私はそれを直接知りようがない)どうしようもなく悲しさと虚しさを覚えている、昔から。
いつからだろう、気づいたらそんなことを思い続けたまま、解決することもなく解決するはずもなくこんな年齢になっていた。

今でもエンケラドゥスでは雪が降っている。
・・・本当に??

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