仕事への向き合い方がわからない

社会に出て、7年も経つが、いまだに仕事に対しての向き合い方がわからない。
やりたい仕事をやった時期もあったけど、お金にはなりにくかった。今の仕事も、なぜか続けているだけだから、時期が来たらすぐ辞めてしまうだろう。
一つのことを続けることがとても苦痛で、同じ場所で同じ仲間と働き続けることができない。かと言って、神経症の認定を受ける覚悟も無い。

友人は皆んな、なんとかして社会に馴染んでいく。毎日の仕事が嫌だと言いながら、土日を楽しみに仕事へ向かう平日を送っているし、それぞれの人間らしい人生をなんとなくなりにも送っているように見える。
私にわからないだけで、実際はそんなに順風満帆とはいかないだろうが、隣の芝にいる私にはそう見えて仕方ない。

人と自分を比べないためのあらゆることは試して来たが、仕事をするということがなんでか出来ない。生活のためにお金を稼ぐことはできるけど、正社員で週5働いて、土日祝日を楽しむというそのほか大勢がこなしている日常をおれは送ることができないらしい。

実際には、そうじゃなくて、週5勤務できるはずだと思う時と、出来ている時と、両方ある。できる時ももちろんあるが、続かない。3ヶ月で飽きてしまうし、見限ってしまう。お金をもらうためだけの仕事なのに、頑張っている仲間が馬鹿馬鹿しく思えて来て、自分が何をやりたいのか真剣に向き合うべきだと悟る。そうして今のような時間を費やすことになるのだが、最もらしい答えのようなものは、はっきりと出せていない。

わかっていることはたくさんある。ただ仕事をするよりも、こうやって意味もなく文章を書いたり、絵を描いたり、本を読んだりゲームをしたりすることが好きだ。一般的には生産性のないことだが、なんのストレスもなくできることだ。
だが、ストレスがないというのは、仕事をしたくないという逃げ道にそれを利用しているからなんじゃないのか。

本当に心からやりたいことなのか、一時的なストレスの解消方法としてそれを選択しているのか、見極めた方がいいらしいが、そこの線引きが一番難しいのではないかと思う。

確かにこうやってただ描いていることが、お金になってくれたら何より喜ばしいことはない。本をたくさん読んでいるような気分になっているが、自分が今まで読んできたのはたったの数十冊程度でしかないだろうし、表現できる方法もとにかく限られている。気に入ったフレーズは使い回すし、同じような語尾を何回も用いては満足したつもりになる。

ねえ、社会人として生きていける人って、何なんだろうね。

もうすぐ、30歳になるのに、その答えがまだ見つからない。

やりたいことをやっているつもりなのに、いつも知らないうちに自分の首を締めている。本当はこんなはずじゃない、図書館やカフェでPCを叩く度に、ノートに気持ちを綴る度に、いつも思っていることだ。

こんなはずじゃない。

行動を起こしていないんじゃないかとか、もっとやり方があるんじゃないかとか、そんなことだけで金を稼げるようになるなんて思うなよとか、そういうことじゃないんだ。

金を稼ぐ方法も、有名になる手順も、この時代に生きる私たちは何となく知ってしまっている。やり方はわかるけど、泥水を吸いたくないんだ。

綺麗な方法で、綺麗に花を咲かせたいんだよ、ギャンブルに浸かっても見てくれている人がいるならそれで生きる価値があるんじゃないか、自殺願望が強くて何回もリストカットしていても、それを見届けてくれる自分以外の誰かに気持ちを訴えられたならもう成功しているんじゃないか、わざわざ音楽を作ってそれを広めて、世界中の人たちが口ずさむような歌を僕が作ったとしても、おそらく自分の人生が豊かになることはないし、心が満たされることはない。

お金を稼ぐこと、有名になること、一回やってみてもいいんじゃないかしら。なってみた時の視点では、考え方が変わっているんじゃないかしら。

それも一興だと言えるのよ。

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