今はただ精神を保っているだけだ

生きることに意味はないし、生きていたい理由もないさ
今はただ、目の前にあるものから逃れたいし、
そんな悪夢を見続けていたくない。
私は相変わらず私自身の人生を生きていて、
それ以上でもそれ以下でもない。
いろんな人から裏切られてきて、それがあっての今なので、
これまでに至るまでには、様々が障害があったはずで、
それを何とかやりくりして令和元年、5月10日、ここでこうやって息を何とか吸っている。

でも、東京に来た本当の理由は、単なる逃げだった。
単調で退屈で、平凡な毎日からただ抜け出したいという一心で、
田舎を捨てて上京を選択した。
他の何もいらないはずで、持っていなかった私なのに、
いろんなものを今では抱え込んで、今度はもう後戻りができないところまで来てしまったのかもしれない。

中学生の頃からずっとやっているSNSが今年の冬にクローズするという。
時にはお金をかけて、当たり前のように恋愛もして、
それが生活の一部だった時もあった、そんな場所が、無くなるんだ。
それだけその頃から時は過ぎて、いくらか自分も成長を遂げたはずなのに、
なぜか、それでは収まりきらない心の叫びが、今最大限に強くなっている。

恋愛をすると、心が荒れると言う人は、恋愛を言い訳に逃げているだけだと思っていた。

誰かを自分の人生の障害と決めつけて、言い訳として、
それを納得材料に使っているに過ぎない、と。

でもそれは違うのかもしれない。本当にそういう種類の人間は実在していて、ある意味病気にかかってしまった状態なのかもしれない。

あらゆる事の定義付けが曖昧になっている現代において、
誰々はこうだから、とするのはもはや時代遅れの考え方で、
それぞれが、その一個人としての人生を全う出来ていれば、
例えば一生ゴロゴロして過ごしている人がいても、あるいは
好きでもない仕事を続けて週末の飲み会を生きがいにしている人がいても、
私たちはその一人一人の人生を尊重し合うべきだし、
余計なお世話的なアドバイスを勝手に与えるべきではない。

生きることに理由はない。という事実だけが、私たちにある確かなことだ。
それでも今日を暖かい布団で寝て、何時間か経ったら起きる事の繰り返しを受け入れるなら、それは立派に人生を全うしている証だと思う。

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