見出し画像

不確実性下の意思決定理論入門

不確実性下の意思決定とは

意思決定理論 (decision theory) は、「よりよい意思決定」を追究する学問領域です。

ここで意思決定とは、「ある状況下で、複数の選択肢から1つの選択を行うこと」という定義をします。

起こりうる状況を $${\mathbf{x} = (x_1, x_2, \dots , x_N)}$$ 、取りうる選択肢を $${\mathbf{y} = (y_1, y_2, \dots , y_M)}$$ と書くことにすれば、意思決定とは $${\mathbf{x}}$$ と $${\mathbf{y}}$$ の要素の組み合わせのことです。

例えば、ある状況 $${x_i}$$ の下で $${y_j}$$ という選択を行う場合、その意思決定の定量的な結果 (consequence) は

$$
c_{ij} = f(x_i, y_j)
$$

のように $${x}$$ と $${y}$$ の関数で表現できます。

特に、$${\mathbf{x}}$$ がどの状況になるかどうかが不確かで決定的でない場合(確率的にしか判断できない場合)の意思決定問題のことを「不確実性下の意思決定 (decision making under uncertainty)」と呼びます。

この記事で数理的な深入りはしませんが、意思決定理論は、この $${ c_{ij} }$$ の期待値の最大化を考えるような理論です。

意思決定と情報量

なにかを意思決定するとき、情報の存在は非常に重要です。例えば、来年のコロナウイルスの再拡大リスクを評価したい場合に、

  1. 特に新たな変異株の報告は出てきていないとき

  2. 新たな変異株が南アフリカで発生したという事実がわかったとき

  3. オミクロン株の感染力・毒性が定量的に判明したとき

という3つの状況を考えれば、1 → 2 → 3 の順に情報量が増え、より精度の高い予測、意思決定ができるようになります。

意思決定理論において、情報量は「不確実性の減少量」として定量的に定義できます。情報の不確実性は情報エントロピー ($${H}$$) とも呼ばれる量で、$${x_i}$$ という状況になる確率を $${P(x_i)}$$ とすれば、

$$
H(\mathbf{x}) = - \sum_{i=1}^{N} P(x_i) \log_2{P(x_i)}
$$

という式で表されます。$${H(\mathbf{x})}$$ は不確実性を表す量なので、意思決定の参考になる情報が何もない状態のときに最大値を取ります

起こりうる状況が2つ ($${N = 2}$$) の場合で具体的に計算してみましょう。$${x_1}$$ と $${x_2}$$ のどちらが起こりやすいか全く分からない状況なので、$${P(x_1) = P(x_2) = 0.5}$$ とします。

このとき $${H(\mathbf{x})}$$ は、

$$
\begin{aligned}
H\left( P\left(x_1\right) = 0.5, P\left(x_2\right) = 0.5 \right)&= - \frac{1}{2} \log_2{\frac{1}{2}}- \frac{1}{2} \log_2{\frac{1}{2}} \\&= 1
\end{aligned}
$$

と計算でき最大値 $${1}$$ を取ります。これが、もっとも不確実な状態です。

不確実性を表す2値エントロピー H(x) のグラフ

ここに新たな情報 $${I}$$ が得られて、$${x_1}$$ が発生する確率を 50% → 75% に更新することができたとしましょう。すると不確実性(情報エントロピー)は、

$$
\begin{aligned}
H\left( P\left(x_1\right) = 0.75, P\left(x_2\right) = 0.25 \right)&= - \frac{3}{4} \log_2{\frac{3}{4}}- \frac{1}{4} \log_2{\frac{1}{4}} \\&\approx 0.81\end{aligned}
$$

と、さきほどの $${1}$$ よりも小さい値に下がります。この不確実性の減少分 $${1 - 0.81 = 0.19 \ \mathrm{bit}}$$ が、情報 $${I}$$ の持つ情報量です。

情報量がゼロの情報というものもありえます。例えば、

  1. 「明日は晴れるかもしれないし、晴れないかもしれない」

  2. 「検査の結果、全体の半数が中央値を下回っていることが分かった」

のような、当たり前の(何も言っていない)文章が持つ情報量は $${0}$$ です。

情報の価値

意思決定に対する情報の価値とは、

「その情報を使わずに意思決定した場合と、その情報を使って意思決定した場合の、結果の期待値の差異」

として定義されます。『意思決定分析と予測の活用』という本では、次のように表現されています。

1. 情報を使うことで,行動が変わる
2. 行動が変わることで,結果が変わる
3. 変わる前と変わった後の結果の差異が,情報の価値

馬場真哉『意思決定分析と予測の活用』

逆を言えば、行動(選択)に影響を与えない情報に価値はないということです。情報量がゼロの情報に価値がないのは当然ですが、情報量がゼロでない場合にも、それによって意思決定の選択が変わる可能性がないのであれば、その情報に(少なくともその意思決定において)価値はありません。取りうる選択肢が現実的に1つしかない場合には、どんな情報も役に立たないのです。

$$
\begin{CD}
\text{情報} @>>> \text{行動} @>>> \text{結果}
\end{CD}
$$

一方で、何かが「分からない」という情報が得られたとして、その情報に価値がないというわけでもありません。同じ「分からない」という情報でも、「調べた結果、分からないということが分かった」と「調べていないので、分からない」は違うからです。

一般に、情報を得ることにはコストがかかります。だからこそ、ある情報を手に入れようと思ったときに、その情報によってどのような行動変容を起こせるか、どのようなインパクトに繋がるかを意識することは大切になります。

意思決定の実践

ここまで、意思決定の理論的なことを紹介してきましたが、普段の会議で「この情報のエントロピーは...」などと語り出す人はいないと思います(私もしません)。ここでは、より実践的な観点で、私が普段意識していることをご紹介したいと思います。

それは、意思決定に使用するパラメータ(変数)の数を、可能な限り削ぎ落とすことです。

理想的なことを言えば、「あらゆる状況と選択肢の組み合わせ」を網羅するディシジョンツリー(決定木)を描いて、その全ての確率を見積もれば、目的関数を最大化させるような意思決定を下すことは可能です。

ただし、その組み合わせはパラメータの数に従って指数関数的に増えますから、もし10種類も変数があると、とても人間が会議で議論できるものにはなりません(そういった性質の意思決定が必要なときは機械学習技術を使いましょう)。

人が議論を通して意思決定をする場では、パラメータの数は多くとも3つ以内にするのがオススメです。

ディシジョンツリー(決定木)

「我々が考慮すべきパラメータの数はそんなに少なくない!」と思われる方もいるかと思います。なるべく本質的な情報を保ったまま意思決定変数を削減するためには、

  1. 変数の独立性を評価する

  2. 変数の不確実性を評価する

  3. 意思決定を階層化する

ことが効果的です。

例として、事業数値 (KPI) の状況によって意思決定の選択肢が変わるようなケースであれば、まず KGI を定め、KGI を分解した KPI ツリーに分解することから始めます。KPI ツリーは KPI 間の依存関係を視覚化するものなので、変数間の独立性/従属性が自然と整理されます。従属性の高い変数であれば、1つの変数に統合して議論することができます。

また、不確実性が高いパラメータほどインパクトの大きいファクターになるので、意思決定のための変数を選ぶ際には、不確実性の高いものを優先させましょう。このことは、有効数字が異なる数字の足し算・掛け算をするときに注意すべきことと似ています。

当然、高々3つのパラメータで全ての事象が説明できるわけではありません。そこで重要になるのが「意思決定の階層化」です。特定の機能開発をしているプロダクトチームであれば、画面ごとの遷移率を細かく追う必要があるでしょうし、中期経営計画を立てる経営企画チームであれば、そのようなミクロ指標を意思決定パラメータとして扱う必要はないでしょう。意思決定プロセスを、適切な粒度で分割・委譲するわけです。

意思決定とセンスメイキング

ここまで読んでくださった方の中には、面白いと感じる方も面白くないと感じる方も、共感する方も共感できない方もいるかと思います。特に、自分の意思決定に合理性を押し付けられるように感じて、「なんだかなぁ」と思う方もいるのではないでしょうか。

実は、上で紹介したような話は、規範的 (normative) な意思決定アプローチと呼ばれるものです。公理的なルールの下で、数学的な論理を重ねて客観的な最適解を探すような考え方です。

一方、現実の社会において、人々は数学的に最適な選択をしているわけではないということが行動経済学で知られています。「合理性」とは主観的なものであって、人によって異なるものなのです。

様々な考え(合理性)を持った「集団における意思決定」というのは非常に難しく、社会全体に影響を与えるような政策決定などは、その最たるものといえます。

そのような場合には、意志決定 (decision making) をすることだけでなく、人々がその意思決定に対して納得するプロセス (sense making) も重要になってきます。

まとめ

  • 「不確実性下の意思決定理論」とは、不確かな状況下で、よりよい意思決定をするための科学的アプローチ

  • 意思決定理論における「情報量」とは、その情報によってどれだけ不確実性を減少させたかを表す量のこと

  • 情報は、人の行動を変え、意思決定の結果を変えることに価値がある

  • 実践的な意思決定の場においては、意思決定に使用するパラメータの数を、可能な限り削ぎ落とすことが大切

  • 変数の数を減らすには、変数の独立性・不確実性を評価し、意思決定プロセスを分割・委譲することが効果的

  • 合理性は実は主観的であり、集団における意思決定においては、意思決定に加えてセンスメイキングも重要になる

おわりに

不確実な状況の中でよりよい意思決定を行うための、理論的・実践的なポイントをご紹介しました。数学的に深く踏み込まず理論の枠組みを理解するだけでも、議論に役立つ共通言語になるかと思います。

意思決定理論の詳細に興味をもった方向けに、参考文献を挙げておきます。

参考文献

Business illustrations by Storyset


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?