健康は第一の富である。


■まえがき

今回は入院、手術をしたときの話がメインになり、苦痛を伴う表現が多く描かれているので苦手な方は目次より、「あとがき、こぼれ話」から読んでもらえたら嬉しく思う。


10代後半から20代前半まで無理をすることは、もはや快感に近いものがあり、2,3日寝ずに制作をしてやりきったときはもはや感動に近いものがあった。「カーッ!今日2時間しか寝てねーわ、まぢつれーワ!」を地でやっていた記憶がある。当時に戻って顔をひっぱたいてやりたい。

そんな私も人間なので歳を重ね、無理をしたくてもできない身体になってしまったのだ。恐ろしいが紛れもない事実である。
寝ずに作業をして朝を迎えまた陽が落ちるまで仕事、なんてことは己の作業効率の悪さの所為からしばしばあるのだが、明らかにパフォーマンスの低下を感じるようになってしまった。

そんな中、4年ほど前から感じていた「単なるストレスが起因したもの」だと思っていた症状が、まさか入院・手術に及ぶほどの病だと気づくことになったのは今年の7月のことだった。

■病に負けそうになる

詳しい症状や病名は伏せるが、現在もしっかり生きており、治療計画が終われば普通に過ごせるので特段心配はない。ということを先に記しておく。

病院で不調の原因を調べるため血液を始め「殆ど人間ドックじゃん」と思うほどの検査を行い、一切笑わない主治医の機械のような説明を聞きながら「帰りはラーメンを食べて帰ろう」などと考えていると1枚の検査結果の用紙を渡された。

そう、検査結果の数値が色々バグっていたのである。それはもう正常の値が逆におかしいのではないかと思うくらいに。

私は元々身体が弱く、夜中に母に抱えられ救急外来に運ばれることも多い幼少期を過ごした。大学時代は1年間の間に何度も入退院を繰り返し、あやうく留年しかけたほどである。しかし、ここ数年は昔に比べてわりと健やかにすごせていたため、今回の受診に関しても、「内服薬を飲んでればそのうち気にならなくなるだろう」と全く重く捉えていなかったのだ。

主治医からは「できるだけ早く入院と手術をしたほうがいい。このままの生活だといつ死んでもおかしくない状態になる。」と言われ、あれよあれよと入院・手術が決まったのであった。

そして日程の調整をしつつ8月の頭に手術をすることが決定し、主治医の言葉に面食らった私は、「いつ死んでもおかしくない」という言葉が脳内で反芻している中、ふらふらと帰路についた。

■入院の準備

まずはお金。これが思った以上にかかるとのことで引っ越ししたてであったり、直近に親族が亡くなってお葬儀にお金がかかった私には相当な痛手だった。さすがにどこかと貸借をするようなことはなかったが、恥ずかしい話かき集めるのに苦労した。

そして万が一のことを考え、親族に全てのデバイスのパスワードと主要連絡先、そしてもしもの時は飼っている猫を引き取ってもらう約束を交わした。

以前のnoteの記事にも書いたが、術後に口にすることができないものが増えるとのことだったので、あらゆる友人と食事に行った。

karatoくん達とは中華の食べ放題に。ゆんゆんとは朝まで沢山お酒を飲み交わした。他にも沢山の友人と楽しく食事をできたことを嬉しく思った。できれば以前より興味のあったウイグル新疆料理を沢山食べたかった。これはそのうち少量でリベンジしたいとゆんゆんに相談しているところである。

■入院・手術、ストレスと激痛で号泣

入院当日。酷暑の中病院に向かい、病室へ入室。

流行病の影響と対策で外部から面会ができない状態なのは事前に聞いていたが、病棟フロアの移動も禁止となっており、実質病室にいるしかないということを知り絶望した。

手術の説明を一通り聞き、お昼前に手術開始だと教えてもらった後、術衣に着替えてだらだらとしていたら看護師さんが再びベッドまでやってきて

手術の時間が早まったみたいなのでもう今から手術室いきましょうね

とのひと言。

「え、心の準備のペース配分…。」と思い急ぎ準備。
今回全身麻酔を使用した手術だったため、可能性はかなり低いにせよ万が一があるため若干の緊張をしていたのである。(一度やったことあるし大丈夫だろとは思っていたが)

そんな中、「このまま死んでたまるか」と思った私は、一番連絡のとりたかった知人に大急ぎでLINEを送って病室を後にした。(そもそも手術のことも何も話していなかったのでそれも含めて書いたのだが、結論何が言いたいのかさっぱりわけのわからんことを打っていた。)

そして手術台に横になり、全身麻酔。前回やったときは6秒までは自分でカウントして耐えた記憶があるのだが、今回は1秒も覚えていない。瞬間的に落ちた気がする。

●目が覚めるとICU

夕方ごろ手術が終わり、目が覚めるとICUにいた。

意識がハッキリとしたころ、途轍もない吐き気、頭痛、全身の痛みに襲われ、暴れようとした音で数名の看護師が私の元に駆けつけた。

思った以上に身体中に管を繋がれていて、後から思い返すとなんともみっともない格好の自分には当時は気づかず、ひたすらに全身の不快感と痛みに嗚咽を漏らし、看護師さんに助けを求めていた。

色々何やら説明をしていたが全く頭に入ってこず、「痛い痛い」と訴える私に看護師さんのどなたかが何らかの点滴のようなものを投与し、再び意識を失った。

この後再び意識を取り戻し、同じ流れを1時間おきに繰り返すとはこの時は思いもしなかった。

意識が戻るたびに死ぬ物狂いでナースコールを押し、「今何時?」と聞くとたった1時間しか経過していないことを告げられ絶望の淵から再び意識を失うことを次の日の朝まで繰り返した。

同時に手術をしたことを後悔し、いっそ殺してほしいと本気で思ってしまった。手術をしなければどのみち死んでいたかもしれないのに。

●術後1日目

清々しい朝とは正反対の最悪の朝を迎え、ようやく吐き気も治まったが発熱は治らず「うんうん」と唸っていると主治医が様子を見にきてくださった。

ICUから病室へお引っ越し。
そして長く寝ていたため、足に血栓ができないよう院内を歩くよう指示をされた。
身体に何箇所もメスを入れられ、傷は全然塞がっていないのに歩くとは何事かと思ったが、指示をされたのなら仕方がない。

痛みを堪えながら点滴棒にしがみつき、死ぬ気で院内を歩いた。その歩幅、約3cm。痛すぎてまったく歩けない。

途中どうしても耐えられなくて車椅子に座らせてもらい、そのまま病室へ。

そこから地獄の入院生活を送った。

●退院までの数日間

当然ながら入浴もできず、起きているのもままならなかったので殆ど睡眠、というより意識が落ちてしまう時間を過ごしていたので体感はすごく短かったような気がする。

起きている時はひたすら痛みに耐えて歩行。とはいえ前述のとおり院内での移動は流行病の影響でかなり制限されているため、病室からナースステーションを往復する程度だった。

意識を失っている間に、何度も注射や点滴をされていて、なぜか失敗もたくさんされていたため、両腕がアザだらけになっていた。

いわゆる内出血がたくさん起きていたのだが、左腕を見るとアザがサキュバスの淫紋のようになっていた。

「たしかにこの病院は美人な看護師さんが多い・・・一体誰がサキュバスなんだ・・?」

そう思ったりもしたが、調べてみるとその淫紋は「マインドメルト」という種類に酷似していて、効果は「イクたびに記憶を失うが、それをもっと欲しいと願う」とのことだった。

「なんだと、俺はイクたびに覚えていないのか…?それとも記憶を失っているだけで「放置プレイ」という高等プレイで俺をどこかで見て楽しんでいるのか?」

そんなくだらないことを考えながら、日々痛みに耐えながら過ごしていた。

携帯を長く触る余裕などなく、「大丈夫?」と連絡をくれた友人らにも返信できず気付けば退院の日になっていた。


■退院後、療養計画1年

退院したあと、会計の額を受付で見て再び麻酔のように意識不明になりかけた。(事前に渡されていた同意書等にしっかり記載してあったのだが、記憶していた額が全然違う数字で下ろしてきていた現金では全然足りなかった)
泣く泣くクレジットカードで決済をし、帰路に着いたのだがどうやって帰ったのかさっぱり記憶にない。

少しずつ体力も回復してきているのだが、信じられないくらい体重が落ち、信じられないくらい白髪が増え、信じられないくらい髪が抜けた。

入浴のたびに抜ける髪で排水溝が詰まり、それを見るたびに落ち込んでいた。

今年のKONAMIのイベントで自分を見たことある方はご存知だろうが、私は髪が長くて青い。当然当時より長いので肩より下くらいまであった。

それでも特に薄毛になることはなかったのだが、なんとなく長い髪が抜けていくのに抵抗感があったので、今日ショートカットにしてきた。中学生ぶり。後ろなんか刈り上げてしまった。寒い。これからの季節を考えていなかった。周りには意外と好評で、「これが清潔感というやつか」と思った。

と、見た目も髪型もものすごく変化したので、イベントでお会いした方はもう次お会いしても一目では気づかないだろう。

幸い術後の経過は主治医が目を見張るほど良好だそうで、バグり散らかしていた数値も正常値が多く目立つようになってきた。(本当に早すぎる回復らしい)

いくつか苦労していることの一つとして、痩せた関係で持っている洋服が全てサイズが大きくなりすぎて合わないという事だ。オーバーサイズと言い張るには無理があるものも出てきてしまった。ボトムスに関しては一生懸命ベルトを締めているのだが、気を抜くとあやうく公然猥褻罪でお縄になってしまいそうである。

とはいえ現在も体重が落ち続けているので服の購入時期も慎重に考えなければならない。

そして失った体力の回復。これは毎日トレーニングを行う事によってすこしずつ回復してきている。とはいえまだ完全に戻っていないので1日の外出はものすごく疲れしまう。今後も継続して、いずれは術前以上の体力を身につけたいと思う。

食事も色々と気を遣っているおかげでシンプルに肌が綺麗になったのは嬉しい話。自炊も少しずつ増えてきて、経済的にも良い兆候になりつつある。

■健康はお金で買えない

今回の病に関して元々の体質もあるが、好き勝手生きてきたツケが回ってきた物でもあると考えている。

多少の無理は仕方がないという事もあるかもしれないが、無理をし続けるのは美徳ではないと感じるようになり、またパフォーマンスも悪いと改めて顧みることができた。

心と体が悲鳴をあげそうな時に少しでも気づくことができたなら、少しでも安らかな時間を取れるように努めることが肝要であるとも思う。

とはいえ、主治医に許可をもらったので、私はイライラしたらコーラゼロを飲みます。これは心の健康だと言い張っている。(よかったね天海リスナー達)

今回長々病気について書いたのは、"病気を放置するととんでもないことになる"ということをこの記事を見た少ない読者に今一度考えて欲しかったからだ。

お金がかかる、地獄のような辛さが待っている、周りに心配をかける。

今回私は方々にご迷惑をお掛けして元気になりつつある今、ご説明とお礼を申し上げ回っているところだ。もちろんこれを読んでくださっているあなたにも。

今の私の目標は、1年後の療養計画終了時に機械のように無表情で話す主治医の顔をニッコリさせる事である。

バグり散らかした検査結果をオールクリアにして、晴れて健康体を維持し、またイベントに出演できる機会をいただけたならその時は皆をいろんな意味で驚かせたいと思っている。

その時にはまた一皮剥けた音楽もお届けできるといいな。


■あとがき、こぼれ話

●お祓いに行った

先日、あまりにもここしばらくの運が悪いので兼ねてより行こうと思っていたお祓いに行ってきた。

引っ越してからどこかへ足を伸ばすのはこれが初めてだったので、初めて乗車する路線の電車にワクワクしたり、初めて降りる駅から目的地までの道を歩くのがとても新鮮で楽しかった。

厳密にはお祓いというより護摩行に参加してきたのだが、これがまたすごく良い体験だった。

とりわけ特定の宗派に信仰が深いわけでも信心深いわけでもないのだが、歴史を聞いたり教えを学ぶのはとても楽しかった。

あとは護摩行が行われる直前におみくじを引いたら不運は的中でやはり「凶」だった。一層祓ってもらうべきだと思った。

数日後、目の上のたんこぶである出来事が綺麗さっぱり消えたので、なんだか怖いような気もするが、これも自分の行いが正しかったものだと思っておこう。

●飼い猫が3歳になった

よくXにも登場している我が家の飼い猫「うーちゃん」が10月2日に3歳を迎えました。生後6ヶ月で我が家にお迎えして、既に2年半もの時が経った事に感慨深さを覚えている。

飼った当時からあいも変わらず
・壁で爪研ぎをしない
・ゴミ箱を漁らない
・家具を傷つけない
・トイレの失敗をしない
・人間の食べ物を食べない
・食卓に上がらない
・ひっかかない
・本気噛みをしない(嫌な時はカプッと咥えてくる)

と全くと言って良いほど手のかからない謎の猫だが、私は全く困っていないのでこれからも仲良く一緒に過ごしていけたらいいなと思った。

ラグドールのシールポイントミテッドという種類のメスなのですが、成長に伴い顔が黒くなっていくのが見ていてとても楽しい。

下記画像の左がお迎えした日、右が先日のうーちゃんである。どんどん美しくなって大きくなっていくのがおもしろい。

2022年←→2024年

1人と1匹でこれからも頑張って楽しく生活していきたい。

いつか、いつか飼い主にパートナーができたらもっと賑やかで楽しくなるかもね。ほんとね…。

おわり

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