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水槽とクレマチスと、前歯のゆくえ


ずっと覚えているやり取りがある。
小学1年生くらいのころ、ママと一緒に歯医者さんに行った。
過去のアクシデントによって前歯2本が少しだけ不自然な向きで生えはじめていたわたしは、その日、歯医者さんのお姉さんから「もしも気になるようだったら、歯列矯正する?」と提案された。

ママもわたしも歯並びについての危惧があまり無かったのでどうしようか迷っていたら、お姉さんいわく、「人前に出ること…例えば、アイドルになるみたいな、そういうつもりじゃなかったらこのまま様子を見ても特に問題ない程度だと思いますよ。」ということだった。
だからわたしはすぐさま、ああアイドルになる可能性は無いなあと思い、「じゃあやらない」と答えた。




●2023.04.16 (にち)

アイドルとして初めてステージに立った。

衣装を着て紫色の照明の中を歩いていきながらわたしは、「あれ、なってるな・・・」と思った。

演出のナレーションとかみんなの手拍子とかが聞こえて、高揚や不安や個人的なさまざまな情緒のひしめき合いがありつつも、あのときの歯医者さんでのやり取りを思い出してたしかにひとつ、「なってる・・・」の感情があった。

巡り合わせとはおもしろいものですね、わはは。



わたしは、アイドルになりたかったから今こうなっているというよりは、水槽とクレマチスに入りたくて、入れることになって、それは結果的にアイドルになるということだった、と言うほうが正しいと思っている。

だからまだちょっと今は自分で自分のことをアイドルですというのが身の丈に合うのかどうか危うい気がして言いにくいし、そうやって言うことで他人の目に自分がどう映るかを気にしすぎてしまう自意識むくむくターンの真っ最中で、こういう話をだすこと自体が時期尚早なのかもしれないけれど、でもひとつ分かりやすい区切りのタイミングとして、水クレに入るに至るまでとかの、ちょっとおきもちどっさりたんまり白黒日記を今日はつづります・・・。



大学生も終わりにさしかかっていく時期、未来のことは一切何も決まらず、毎日なんやかんやと起床をし、ラジオ体操をしてごはんを食べ、本を読んでおさんぽをしたら疲れて寝る、みたいな老後としか思えないような生活を送っていた。

実際、こういう日々は楽しくもあり、ひとつの選択肢として視野に入れてもいいと思っていたけれど、わたしにとってそれは同じ場所・部屋に居座り続けるような良くない圧迫感や閉塞感をともなうものだったし、やっぱりまいにち、明後日以降について考えることから目を逸らし続けなければいけない息苦しさがついてまわった。

やりたいことに向かえず、あたりまえに時間をくい止めることもできず、動いた方がいいと頭だけでは分かりながら、どんどん歳をとるだけになるのを恐れたりもした。


自分にはやってみたいことがたくさんあって、それに向かうエネルギーを持ち合わせているはずなのに、保守的な自分のブレーキも相まってすべてがなかなかうまい方向に転がらず、誰にもなにも言わないままこそこそと進めていく小さな挑戦はことごとくなぎ倒されていくのがとても滑稽だったし、「あなたは何がしたいの」「これからどうする気なの」と聞かれる度、はっきりと何かを答えられない自分が情けなかった。


勝手に1人でもがきながら、絶望も幸福も受け入れる器を持ち合わせることなく、結局なにもしないでいる人になっているのが、どうしようもなく苦しかった。

内側に籠りすぎていた今までの自分のせいで、人や外の世界との繋がりがあまりにも希薄だと気づき焦燥が加速する毎日を送っている中で、水槽とクレマチスに入れるかもしれない契機がおとずれたとき、わたしって絶対にこのグループに入ったほうがいい、と思った。


1人ではなく人と一緒に、歌うこと踊ることで表現ができる。それ以外の方法や、1人での創作表現にも打ち込めつつ、自分自身の生活を大切にできる。まだ自分が知らない外の景色を、旅をしながら見ることができる。そこには、人との穏やかな繋がりがある。


水クレのコンセプトを改めて噛み砕いていくほど、現実でも自分の頭の中でも何度も反芻されていた「あなたは何がしたいの」の限りなく近い答えになりうる気がした。

もう、変化におびえながら現状維持でいて良いままの大義名分をさぐる真似をしたくなかった。


生きるということに停滞をもたらしたくなかったし、生きていくことについて疲弊もしたくなかった。
生きている人どうしの関わり合いがどうしても自分には必要だと思った。


もちろん、1人でいる状態が楽なことにも変わりなく、だから、誰でも彼でもが勝手に自分の領域にずかずかと土足で踏み込んでくる扱いを受けることは一切望んでいないけれど、
会ってみたいと思う人と会うこと、会ってみたいと思ってくれている人と会うこと、少しの言葉を交わすこと、たまたま会ったけど会えてよかったと思える人と会えること、というのをこれからはできるだけ逃したくない。



激烈な邂逅を求めているわけではなく、そういう瞬間があったなとか、それが今かもしれないなとかいうのを誰かと共有できる一片がゆるやかに蓄積されたら、それはわたしにとっても、手前味噌ながら、あなた(←広義)にとってもささやかだけどものすごい経験になる気がする。
それは、結果的には激烈な邂逅ということになるのかもしれないし…。


ただ、まだ全然ぜんぜんわたしのことを知ってる人はいないし、わたしがいるということがどこかに赴く誰かにとっての原動力の一端になる、みたいな存在にも到底なれていないけれど(それはこれからの自分の頑張り諸々がものをいう♩)、それでも、色んな偶然が重なってたどり着いた場所で出会える人たちみんなとの時間を大切にしたい気持ちがでっかくでっかくある。



正直、わたしは他人と気軽に関わることがほんとにほんとに苦手で、対人の耐性がほとんど無いので、自分が望んでいたことに限りなく近いことができる可能性にすすんでいく現状でも、今はまださぐりさぐり分からないことだらけで、あらゆる距離を掴みかねているために、完全に楽しいとは言えない(ていうか、完全に楽しいとか思えてしまう時がきたらそれはちょっと怖すぎないか・・・)。

不安は果てしないし涙はわがままだし葛藤はさまざまな顔であらわれるし、だけどそれらは、常に地に足のつかない浮遊したわたし自身の均衡を保つおおきな役割を果たしている節もある。


だからとにかく今は、着実な充実感を噛みしめながら頑張れるうれしさを大切にしつつ、大きなくくりで人やモノや事象ぜんぶを排除してしまわないような形で、生活・旅・ライブをしていきたいです。



さて、あのとき、歯医者さんで矯正を断った115は、果たしていまどんな前歯をたずさえているのか…。気になるね。



115ってなにと思っているみなさんは、さいしょは歯目的(ハモク)で115ちゃんの前歯のゆくえを会ってたしかめるのも、ありかもね・・・。


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