❤︎2021❤︎愛をこめて
もうずっと、「終らせたい」と「始まりたい」の瀬戸際をふらふらしている。目を瞑った先の世界では何度も飛び越えられたはずのベランダの茶色い柵にはとうとう足をかけることすらできず、そのことに内心ほっとしながら、今年も無事、括るほどでもないこの1年についてまとめあげようとしています。
痛かったり苦しかったりすることは嫌だ。これは己の確固たる意思でなるべく避けてきた。だからわたしは今もこんな感じでゆらりと生き長らえている。それなのに、9月にぶっ刺された2回目のワクチンは信じられないくらい痛かった。次の日に浮かされた39度の熱も、信じられないくらい苦しかった。痛くて苦しいことなんて最悪だ。絶対に老衰してやる。
基本的に大丈夫そうだと思われる。
訴え方が分からず、問題無しねという笑みだけを向けられ、その笑みを向けてくれたおとなはすぐに、例えば隣の非行少年をかまっていた。
だけどわたし、あなたが思うよりも不健康です。
そのうちに、わたし自身が、数字だけ見てしまえば一応のおとなというものになった。
他人に見えるからだの表面と自分にしか分からない頭の中が極端にちぐはぐでとても困るなあと思うけど、きっとわたしはわざとそうしている、そうなってしまう。
生きていても意味が無いというのは、皆にとってわたしの存在が無意味だと卑下しているのではなく(というかそれに関しては、「わたしって何の生産性も無いかもしれないけどなんかおもしろいし多分居た方がいいよね♬︎」という妙な自己肯定感を持ち合わせている)、単に今のわたしが生き続けたとてわたしにとって無意味だと思い詰めるということです。だから、生きててごめんなさいみたいなメンヘラちっくな文句は全く沸かず、どちらかというと、みんなにはごめんけどちょっとわたし死んでしまいたいかも、という驕った希死念慮です。わはは。
過去より今が好きだけど、いつも先のことを考えると悲しくなる。それでも時間は進んで、さっきまでの4月がいつの間にか12月になっている。例えばふつうに愛をもらったり愛を与えたりしてそれで嬉しくて幸せな感じになりたいだけで、こんな死ぬ感じには本当はなりたくない。だってどうせ死なんもん…。夜道は人の50倍くらい神経を張り巡らせながら歩くし、昼間でも細い道に1人で入った時後ろから足音がついてきたら絶対に生き延びるぞ!と思う。なるべく他人に背後を取られないようにするし、寝る前の戸締りは超きちんとする。家に入ってきた泥棒がたまたま目に付いた包丁でわたしを刺してこないように、絶対に使った包丁は出しっぱなしにしない。痛いのやだ苦しいのやだ。
外がこわくて仕方ない。けれど内側にこもった熱は膨張して破裂しそうだから、誰かと会話をしたい誰かと関わりたい馴れ合いたくはない1人にしてほしいでもやっぱり、人と繋がりたい。
歌をうたい、文字を書き連ね、他人の文字を貪り食う。その繰り返しの中で、死というものに希望を持ちながら、生きるということに誰よりもひどく執着する。ポッと生まれてポッと消えたよく分からない人、になりたくない。わたしのした選択をわたしが良かったと思えるために、今はまだ、生きる方の痛みと苦しみを存分に味わいたいと思う。わたしは全く、被害者では無いから。
2022年は2が3つもあってすごいと思います。おそらくこの私が生きている間はもう2が3つになる年なんて無いから、すごい。だから、2022は2021よりも頑張れるかも。そういう単純で可愛いところが、わたしにはある。
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