くいとめて、トゥエンティ
『そこでずっと何してるの?』
「わかんないよ。こっちが聞きたい。」
はたちを過ぎたあたりから繰り返しつづけているこんな答えも、そろそろ期限切れだなと情けなくなる。
部屋の角っちょで不健康に青い光を浴び、ちっちゃい液晶の中で完結する理想にふけるわたしの手を、濁った青がすり抜けていったりする。
『なにこれ?』
「あーそれ、たぶん涙。」
『涙?』
「うん。さっきここで。」
『泣いたの?』
「まあ…うん。」
中途半端に気づいて折り合いをつけられないくらいなら最初からなにも気付かないでいた方がいいことがたくさんあって、本当はもっと巨視できる世界まるごとの画面を、りんごサイズくらいまでにわざと留めたりする。
朝起きてごはんを食べてうんちして、うれしくたのしく手を繋ぎ合うごっこ遊びに打ち込んで、またおうちに帰って肩甲骨にシャワーをあてる油断のすきまを逆手に取られたとき、虚空に流れていった無くてもよかった瞬間を積み重ねたことに嘆く。
『こぼれてるよ。』
「なにが?」
『涙。』
「うそだ。もう泣いてないもん。」
『うん、嘘。でもほんとにこぼれてる。』
「だから、なにが?」
『ほら、背中のとこから。』
その通りだった。
わたしは、わたしのうしろからどぼどぼと溢れ出てくる時間を、ひたすらに背中でくいとめようとしていた。だけどそれは当たり前にくいとめきれずにいた。
安全な壁にもたれつづけながら必死に背中を押しつける卑怯なわたしは、とめどなく噴出していこうとする時間をせき止めるため、何年も何年もそうしていた。
『こぼれてるやつ、拭かないの?』
「拭かない。」
『そっか。』
「時間の無駄だもん。」
『うーん。』
「そんなとこまで頭回らないし。」
『どうして?』
「なにが?」
『どうして泣いてたの?』
「んー。」
窓から見えるあきらかな晴天はきっとわたしに向けた皮肉だと思ったし、そういう下手な自意識のかたまりが重石になって、さらにわたしを停止させ続ける。
この子は結局なにがしたかったんだろう、と思われながらぽっと消える幕切れを幾度か想像して、たまらなく恐ろしいきもちになる。
『あとさ、それ。なに持ってるの?』
「これ?だいじなもの。」
『だいじなものって?なに。』
「わからない。」
『わからないの?』
「…わからない。」
大切にたいせつに握りしめたり抱えたりしていたものは、いつの間にかただ大切だという無意味な香りだけを残す。
そういうものに縋って、そういうものを使って、なにかと理由付けをしながら過ごすまいにちが苦しいことは分かりきっていたけど、こういう結果はどうしようもないとも思っていた。
『そうかなあ。』
「突然なに。」
『それ、ちょっと貸してみてよ。』
「どれ?」
『手に持ってる、それ。』
「どうして?」
『はなしてみたら進めるものって、あると思うよ。』
「どういうこと?」
『そのまんまの意味。とりあえず、貸してみてよ。』
「もう、わかんないこと言わないでよ。まあ、はい。どうぞ。」
その途端、ずっと握りしめていたものが知らない角度からわたしに向けられて、太陽にも反射した。
自然にきらめいた光の中に、吸い込まれたくなった。
ああ、今ここでなら、長いあいだ自分にまとわりついていた陰気に生ぬるい空気を取り払えるのかもしれないという、微かなくせに絶対そうするしかないみたいなたかぶりがあった。
『まぶしい?』
「うん。」
『嫌だった?』
「嫌じゃない。」
まぶしいには、直視できるものと、直視したら心がどうかなってしまうのではないのかというものの大きく分けて2種類がある気がする。
このときわたしに向けられたまぶしさは、前者のほうだった。
『どう?』
「なんか、背中かゆくなってきちゃった。」
『そっか。じゃあ、』
「うん。」
そっと壁から背中をはなす。
そこからは、待ちかまえてたみたいに一定のリズムをもってどくどくと時間がこぼれ落ちてきた。
そんな様子を目の当たりにしながら、だけどもう、これらを無理にくい止める必要なんてないということだけが、なんとなくわかった。
これでようやくバイト先の小学生に年齢を聞かれても「20歳だよ」って嘘をつかなくてよくなるかもしれない。
そういえば、『おまえって、なんかずっと20歳じゃね?』とか言ってそろそろ小学生も怪しんでたな。
くっつけたままだった背中を壁から離して、こんなふうに話して、不変を手放して、たぶんきっと、くいとめられない時間といっしょにわたしたちも動いていく。
『そこでなにしてるの?』
「見ればわかるでしょ。」
『うん、そうだったね。』
「はなせてよかった。」
『うん。』
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