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わたしたちは洗濯機を信用しすぎてる

(もく)

外に出る用意をしてたら誤ってリモコンを踏んづけて、ミヤネ屋がついた。宮根さんが鼻声だったので、宮根さんが鼻声だな〜とだけ思って、消した。

(か)

家のまわりを歩いていたら、自転車に乗った半袖の子どもが、「なちぃ〜!あちぃ〜!」と景色を懐かしみながら暑がっていてめちゃくちゃ良かった。なちぃ〜!て。

(ど)

洗濯をした。
引越すまで自分で洗濯機をまわしたことがなかったから知らなかったけれど、もしかして洗濯機ってかなりいい加減なんじゃないのか。洗濯機、ほんとに洗濯をしてくれてるのか。なんかあれって、水をドバーーーと出して、中身をグルーーーンとまわして、その迫力だけで誤魔化してないか。別に大して洗えてなくないか。

たぶん人間が(少なくともわたしが)、水の透明さに安心感をゆだねすぎてるんだと思う。



(すい)

朝ごはんのスープで舌をやけどした。あわてて冷たい水を口に入れて冷やしてみたけど、いつもこの処置をして何の効果も得られていなく、今日も全く同じ結果だった。
舌をやけどした日は、満腹中枢がおかしくなる。イレギュラーな口内がイレギュラーなことに気を取られっきりで、食物を満足に舌で感じられなくなる。だからきょうはごはんやお菓子を変なふうに食べすぎた。

(きん)

電車で缶ビール持ったおじさんがバランスを崩し、もう片方の手で持っていた柿の種をぶちまけていた。わたしだったら多分その場で大泣きし始めてる感じに、ぶちまけていた。
おじさんは1度だけ舌打ちをしたのち、手際よく柿の種を拾いはじめた。
わたしも拾った。
わたしが2つ柿の種を拾ってる間に、揺れる電車の中おじさんはほとんどの柿の種を拾い終わり、床には柿の種が落ちた形跡がまったく残っていなくてすごかった。
おじさんは、次の中野で降りていった。


(げつ)

選択をした。
ある1つの選択をしてそれが進んでいく時ふと、そうじゃない別のいろいろな、あったかもしれない生活みたいなものに思いを馳せる時がある。
無理やりなにかに逆らったわけでもなく、その時の思うままに流れ着いたのが今なんだから現状はいつもすごく自然で最適なはずなのに、そこに集中できないまま、別の世界に身を置く自分を空想して一瞬羨んでしまったりする。
同居人はよく、無邪気な小学生や保育園児を見ながら、「あの時期がいちばん楽しかったからね〜。それ以降は何も楽しくない。」みたいなことを言う。わたしはいつもそれに、「そんなわけないよ。今がいちばん楽しいじゃん。」と返す。
わたしも懐古趣味は強いけれど、それはあくまでも過去より満足した今があってこそのものなので、こうやって返す言葉は本物の気持ちだと思ってる。
でも、今よりも過去の自分を羨むことと、今を差し置いて空想の中にいる自分を羨むことのどこにつまらなさの違いがあるのか、とも思う。

家の中のカタカタ音が止まった。
洗濯が終わったらしい。

洗濯機まいにち回すの勿体ないから洗濯機あんまりまいにち回したくないのに結局まいにち洗濯機を回してるな。
選択も洗濯も繰り返しの毎日だねー。

これってやっぱり、あまりにも生活すぎる!


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